NAMI's LIFE
photostyling75c..NAMIの個人ブログ

ただいま、ワタシ。
2022年12月、リスタート!

伝えたい想い。「変わらない」もの。
いつでもワタシは、ここにいるよ。
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人生の発見

2年前にランドマークのセミナー受けてから

漠然と考えたこと

 

その時の発見が今に繋がってるけど

 

こんなことになるとは

 

自分の人生

本当に可能性しかないんだ

 

人は本当に愛しかない

握手しただけで

涙があふれる

 

怖い怖いって逃げてきた

たくさんの呪縛

 

でも本当は

世界が幸せに、って

 

歴史も全部塗り替えるほど

本当は世の中こうなんだって

そんな未来は本当に来るんだって

 

そして私はとても大切な役割があるんだって

そんなふうに思い込み

自分を律して生きてきてみて

 

窮屈にも感じて

感情押し殺して生きてきて

 

それでも私は幸せなんだと 

必死で自分にいいきかせてきた

 

見えない世界との戦いみたいな

そんな毎日

それでも私は

自分の中にある本当に消えない可能性を

いつだって信じたいし

信じてきた

 

だからいま

本当にこのままでよし!

 

そんな自分が目の前にいる気がして

とてもとても

怖くて、でも楽しみで 何より愛おしい

 

そんな私が今いるんだな

 

全部手放して

本当に愛と喜びで

生きる私でありたい。

| 23:42 | dear | comments(0) | - |
コロナ到来

大分での生活

娘の中学3年間

 

いろんなことがあったけど

過ごしてしまえばあっという間でさ

大分にフォトショップとかイラストレーターとか学びにいったり

娘のダンスの送迎したり

東京と大分を行き来したり

隣の家のこーちゃんが本当にかわいかったり

 

いろんな変化とともに

娘はカナダに留学することが決まって

東京に戻るタイミングで

コロナがやってきて

 

思ってた以上に長引きそうだし

不安がすごかったんだけど

湯布院で生活する間、私はいろんな変化があって

会社を縮小して

ちょうど東京に戻る2020年は恵比寿の1店舗になるっていうタイミングだった。

 

いろんなことクリアにして

新しくリスタートのつもりだった

 

だけど

先が見えない不安と

引っ越しのタイミング

娘のカナダ行きも飛行機が連日キャンセルで渡航できない

 

なんか全部がうまくいかない

東京に戻ったら色々がんばろーって思ってたのに

いつまで続くんだろって

 

会社のスタッフも

いい子入ったーーと思ったら

病気になったり

急に連絡が取れなくなったり

自分の夢に向かって行くことを決意したり

 

今まで人が足りなくなったりすることほとんどなくて

本当にタイミングよく素晴らしくスタッフが集まってきてたから

私はいつでもラッキーだし

絶対になんとかなるだろって思ってたんだけど

 

そうもいかず。

 

いいこともいっぱいあったし

嬉しいこともいっぱいあったけど

 

もうなんか何が正解なのか

全然わからないなーってなってた。

 

スタッフはほんと、いい子だし

写真も上手になっていくけど

なんか私がやりたいことと違う

 

そんなふうに思いながらも

やれることなんだろって

大人の撮影を考えてみたりしながら

BNIに誘われて入ってみたり

そこでの人脈から

いろんな新しい世界が見えたりしてた。

 

そんな中で出版したり

BNIのディレクターになったり

今までとは全く違う人脈ができたりして見える世界が全然違うなって感じて来たけど

コロナで不安しかなかった会社の売上は思ったほど大変にはならず

だけど

少しずつコロナが落ち着いて来ると同時に

いろんな困難がやってきて

 

自分の中の新しいチャレンジと

現実が全然釣り合っていかなくて

 

それでも今までなんとかうまくやってきたしねって

すごい深刻なふりして

めちゃくちゃ楽観的に

なんとかなるだろ、今までだってなんとかなってきたしねって

そんなふうに過ごしてたのかもしれない。

 

私なりにはめちゃくちゃもがいて

あーでもないこーでもないって

お金と時間を使って

苦手なこともしたし

自分を奮い立たせて

新しいチャレンジもしたんだけど

どれもなんだかしっくりこなくて

 

結果気づいたことは

本当に私が欲しい物は、

心の平安なんだなっていう、結論。

 

たくさんの出会いと

気づきと

自分の人生との向き合いの中で

苦しくて逃げ出したくなることばっかりなんだけど

それでも私は本当にラッキーなんだと思える

大きな収穫もあった。

 

そもそも改めて今

自分の過去を振り返って

自分が大事なポイントを文章にしようと思ったのは

 

私自身の人生を本当にもう一度再創作して

今の、ありのままの自分を

しっかり受け止めて

これからの人生を生きていこうと思ったから。

 

そうこうしているうちに

今もなお、毎日怒涛の忙しさと気付きと直面で

死にそうになったりもしてるんだけど

 

後少しでなにか掴めそうなところまで、来てるかもなあという感覚はある。

| 06:59 | ワタシ | comments(0) | - |
湯布院での暮らし

ちょっと前後するけど

 

2017年かな

たぶん

娘が小6の卒業を終えると同時に

私は東京を離れて大分の湯布院に引っ越しをした。

 

離婚したから

それがきっかけもあったんだけど

ずっと会社をスタッフたちにもっと任せて

利益ももっと自分たちでとれるようにしていきたかったし

いろんなことに

今思えば人間関係とかね

疲れてたんだろうな

 

みんないい子だったし

お客さんもたくさん来てたし

 

それなりに人気あって

助けてくれる友達もたくさんいて

 

そんな中で、私はPARISで生活したいなとずっと思ってたけど

なかなか現実的にそれを実現させようと思うと

ハードルが高かった。

 

だけど

日本国内であれば

何かあればすぐに飛行機でとんでこれるし

なんかかんたんに思えたんだよね。

 

引っ越しするまで

恵比寿には3つの店舗と事務所があって

 

それぞれのスタジオや事務所にはスタッフがいて

外注で手伝ってくれる心付いよい仲間もいて

私って普通にものすごく恵まれてるし

なんかこのまま店舗がいい感じに拡大して

なおかつ私の手を離れて経営がなりたっていけば

いいことしかないなーって思ってた。

 

もっとスタッフたち一人一人が

やりがいもってスタジオで仕事できるし

やった分だけお給料もあがったら

やる気ださないスタッフとかいないと思ってたからね

 

湯布院に引っ越して

そこで新しい生活がスタートして

最初はなんだか数年間忙しかったいろんなつけがまわってきて

書類とか色々

めちゃくちゃ時間がかかって

それを整理して毎日が過ぎた。

 

家で食事とか作ったりすることもほとんどないから

私の料理のレパートリーってめっちゃ少ない

それでもたまにしか作らないから別にこまることもなく

 

だけど引っ越してからは

毎日自分が家のことしながら

娘の学校のことも

離れた土地での暮らしも

湯布院に行くと決めてからとった運転免許も

 

40歳を超えてから

新しい事がたくさんで

振り返るとほんとに贅沢ですごくラッキーなこと。

 

妹の家のとなりにあるマンションをしらべたら

分譲マンションだったけど

リゾートマンションで

 

見に行ったら温泉がついてて

なんだか急に贅沢な環境

だけど

私が東京に行ったりするときに娘を預けていけるように

絶対隣に住んでるほうがいいよねってことで

すぐに家を決めて引っ越しが決まって

 

トントン拍子に新しい暮らしが決まった。

 

料理とか全然できないし

そもそも食べることにあんまり執着なくて

何でも良かったから

今までは口にしなかった菓子パンとか何故かスーパーで買い込んで食べたりして。

 

妹の知り合いの団子屋さんが人手が足りないから手伝ってと言われて

軽い気持ちでOKしたら

週に4回くらいはいることになって

なんか普通に仕事みたいになってたし

 

湯布院に引っ越してからの私は

人生での初体験をたくさんした。

 

人に会うこともほとんどないから

娘と向き合う時間を本気で持とうと思って引っ越したけど

1,2ヶ月たったらやっぱり私は仕事がないと無理なのかなーとか

色んな気持ちが出てくる中で

スタッフを順番に湯布院によんで

色んな話をする中で

良くなるとだけ思ってた私の考えが本当に甘いんだってことを知った。

 

理想だった私の会社のあり方は

これっぽっちも存在してないんだなっていう落胆と

自分が一生懸命培ってきたものってなんだったんだろうっていう失望感と

 

想像もしてなかった裏切りと

それに気づかないスタッフと

バカばっかだなって

ほんと、社員って信じた人が馬鹿をみるんだなって

そんなよくわからない一般論みたいなものを信じて受け入れることが

自分の平常心を保つための唯一の方法みたいに思えた。

 

湯布院で感じた色んな気持ちは

私の人生で初めてのことばっかりで

 

あの頃は

離婚したせいで自分を責めて

全部うまく行かないのはなんかもう仕方ないし

自分で選んだ人生なんだって思いこんでた

だから

仕事も何ももう無理かもなって思って

どうやって手放そうかなと思ってた

 

だけど

そんなときになんか不思議なタイミングで

私のことを応援してくれる人との出会いがあったり

新しいことに目を向けて見ようと思ったり

 

隣の妹の家に新しいベイビーが生まれて

信じられないほどその子に癒やされてみたりと

 

少しずつ少しずつ

3年の間に新しい出会いが増えて

知らなかった世界をしって

 

私もまだまだなにかできるかもしれない

あきらめなくてもいいのかもしれないって

そんなふうに思えるようになった。

 

湯布院で過ごしてる期間で

私の肌荒れの原因が食生活にあることとか(当たり前の気もするけど考えたこともなかった)

健康のこと

経済のこと

 

なんかいろんな

今まで考えたことなかった世界を知ることになった。

| 06:03 | ワタシ | comments(0) | - |
シゴトとワタシ

スタジオのこと

色々語ってきたし

これまでに何度も。

 

コンセプトがあって

素敵なスタジオだよーって

 

誰にも真似できないって思ってたし

空間とか

スタイリングとか

色々本当にすてきでしょーって

 

確かに素敵なんだけど

私がここ数年で直面したことが何かというと

 

自分の理想と

人が感じることには大きな違いがあるんだってこと。

 

実際

この表現であってるのかはわからないけど

理想と現実は違う、ということを思い知った、と、思っていた。

ややこしい・・・・w

 

素敵なことを提供して

全くの無名であるわけでもないし

ここで働きたい!って言ってくれるスタッフがいつも集まってくれて

 

そういう環境があたり前だったし

やりたいことも溢れてきて

いつか全部叶うんだって思ってた。

 

PARISが大好きで

PARISに住んだり

そこでスタジオやることも考えたりして

不動産調べたり

ビザのこと調べたりしたんだけど

 

結局現実にはそれを実行することもせずに

コロナがやってきて

 

コロナ以前に

会社のスタッフへの不満と

目の前にある問題からずっと目をそむけて

自分はやれること全部やってるし

わからないみんなが悪いし

私のこと本当にわかってくれるスタッフってどこにいるんだろうって思ってた。

 

やめると言われたら

めちゃくちゃ悲しいけど

常に経営者は強くないといけないと思って

特に気にしてないふりをした

 

フリなのかなんなのか

自分でもよくわからなかったけど

会社を経営してたらそんなの当たり前かのように

自分に言い聞かせて過ごしてた

 

だから

だんだん何がしたいのかわからなくなってたし

スタッフの気持ちとか

寄り添ってるつもりで

なんにも見えてなくて

私を理解してくれる人がいない環境での仕事って

地獄を生きてるみたいだなって思うようになった。

 

途中で

離婚もしたし

引っ越しで東京から大分に移動する過程の中で

生活が一変して

常に自由を選んでいると思ってたけど

何がしたかったのか

私はどこに向かってたのか

今となったら全然わからないんだけど。

 

その時その時は

自分の出来ること必死でやってたし

それが正義かのように生きてたんだけど

 

色々苦しくて

何をしたらいいのかわからなくて

誰かにすがりたいし

助けてほしいし

 

だけど

それを口にしたら死んでしまうかのような気持ちになって生きてたのかもしれないな・・・・

 

 

| 05:24 | ワタシ | comments(0) | - |
photostylig75c

75c 

 

これ、どんな意味があるのかって

経緯をよく聞かれたんだけど

 

話すと長いしってことで、いつもなんとなく濁してきて

 

今ここで書くとなるとなんだか今更感もあるんだけど

 

大事なことは

ブランドの名前には、やっぱりそれなりに想い入れがあるってこと

 

そして

覚えてもらいやすいこと

他と違うこと

色々あるんだけど

 

ナナジュウゴシー

 

と、よみます。

 

ライフスタジオの恵比寿店をオープンして

思ったことがあった

 

めっちゃくちゃお客様が来るし

衣装どこで買うんですか?って質問もめっちゃくる。

 

だったら

絶対セレクトショップやったほうがよくない??と、思ってた。

 

でも私

何をするにも思いつきで

ちゃんと企画書つくったり

プレゼンしたりとか

そういうのが本当に苦手だから

社長に色々聞かれると

そんなの聞かれてもわからないし

ただ直感でいいと思うと言うしかできず。

 

そんなときに恵比寿に店舗をオープンしたから

やっぱり私はセレクトショップがやりたかった。

 

だから

チャンスをなんか探してたんだよね。

そして当時弟が不動産で働いたりしてたから

なんか、暇さえあれば不動産物件みて

気になるところを見に行ってた。

 

そして発見したのが

恵比寿22番館があった

駅から徒歩2分の物件。

 

駅徒歩2分なのに

値段が安かった

店舗もOKとかいてある・・・・ということで

即効見に行くことになったんだけど

まあ、階段で。w

 

登りながら

流石にお店でこれはないかーーと思ってたんだけど

中に入ったら

天窓みたいな

なんだかなんともいえない素敵な空間に

私、なんかピンときて

すぐにここ、かりちゃえーーとなった。

 

借りたところで何もすぐにはできないのはわかってたんだけど

止められない感じで私。

 

借りてから社長に話したら

めっちゃ怒られたけど

内装工事はいつになるかわからないから

そう思っとけと言われ

 

まあ、仕方ないかと気長に待つことに。

 

当時内装を自分たちでやってたライフスタジオでは

外注するとかいう選択肢は全然なくて

数ヶ月分の家賃をはらったとしても

ぜったいに内装は社長にお願いするのがいいと思ってた。(金額的に)

 

そしたら

3月に地震があって

店舗の工事の予定が色々変更になって

急遽工事着手。

 

5月3日は私のバースデーだから

その日にセレクトショップをオープンすることになって

 

ホームページとか

商品仕入れとか

色々準備して

スタートした。

 

お店の名前は

momdoll

 

これまた運命のような出会いで、

当時一緒に仕事することになったうつみさんとの出会いから

セレクトショップ兼カフェをオープンした。

 

最初は私が店舗に立って

ライフスタジオの新しい店舗の内装とかも私が手掛けていたこともあって

色々知らないわりに

私はなんとなく順調に赤字を出さずに

スタジオと

セレクトショップを行き来しながら

楽しいし

夢のある仕事をしてたんだけど。

 

少しずつ

人から色々言われるストレス

それも同じ会社のグループの中で

自分だけが自由にやってることへの避難とか

いろんなのがでてきて、ストレスで死にそうになって

独立しちゃおうかなーーって

 

思ってたけど、えいって飛び込めなかったところに

思い切ることができる瞬間がやってきて

 

めちゃくちゃ心の中であっためていた

 

数字×アルファベットのブランド名

 

ここで 75c が浮上して

なんとなく、採用。w

 

75は

実はカカオ75%の数字で

別に当時のライフスタジオが75カットの写真をお客様に渡してたからでも

私が75年生まれでも

その他色々周りに言われた理由でもなく

 

カカオ75%が好き

 

っていう友人の言葉から

大事な数字になった、っていう経緯。

 

そしてアルファベットは

順番に

75a 

75b 75c....って響きから

ん?

よくないか・・・・・??って

 

そんな流れでちょっと私の心に留まってた、ブランド名の候補だったんだけど

 

社長にライフスタジオから独立スル宣言をしにいった時

ブランド名をきかれ

全然考えてないといったら

そんなわけ無いだろと言われて

 

そこからの

浮上してきたやつ。

 

オープンまでに

もっといい名前が決まったらそれにしようと思ってたけど

 

時間が経てば経つほど

なんだかしっくり気に入って

 

ナナゴーシー

とか

ナナジュウゴドシー

とか

色々言われるんだけど

 

違くて

 

ナナジュウゴシー

 

となりました。

 

ちなみに

カカオ75%のチョコをメインで作ってる

フランスのチョコブランド

【フランソワ・プラリュ】っていうのがあって

 

そのブランドとの出会いが全てのスタートだったりするんだけど

 

こんなふうに

私は昔からなにかにつけて意味づけするのが得意。

そしてコンセプトに織り交ぜたり

自分の想いを表現するのに使ったり

 

そういうのが凄く得意だし

好きなんだってことを、このことを通しても感じるようになって

それがこれまで何度も何度も私にチャンスをもたらしてくれた。

 

自分の得意を形にしていく場所があるっていうのは

それこそ本当にとっても大事。

 

75cがオープンした時は

photostudio75cだったんだけど

なんだかしっくりこなかったんだけど

 

つけないとなんだか何なのかわからないしねってことで

つけただけになってた。

 

途中でね

いざ、独立してから

もっとお客様に知ってもらうにはどうしたらいいんだろうって

 

コンセプトごとに違うスタジオを展開しながら

思いついたのは

【photostyling】でした。

 

商標とったりするのにも

色々と難しさがあったりしたんだけど

最終的にはphotostyling75cは

ロゴ登録ができて

無事にお見せできるようになって

 

今に至る。のです。

 

言葉一つにも思い出があって

思い入れがあって

とても、大切な、私を作る要素であるということ。

 

 

| 05:05 | ワタシ | comments(0) | - |