漠然と考えたこと
その時の発見が今に繋がってるけど
こんなことになるとは
自分の人生
本当に可能性しかないんだ
人は本当に愛しかない
握手しただけで
涙があふれる
怖い怖いって逃げてきた
たくさんの呪縛
でも本当は
世界が幸せに、って
歴史も全部塗り替えるほど
本当は世の中こうなんだって
そんな未来は本当に来るんだって
そして私はとても大切な役割があるんだって
そんなふうに思い込み
自分を律して生きてきてみて
窮屈にも感じて
感情押し殺して生きてきて
それでも私は幸せなんだと
必死で自分にいいきかせてきた
見えない世界との戦いみたいな
そんな毎日
それでも私は
自分の中にある本当に消えない可能性を
いつだって信じたいし
信じてきた
だからいま
本当にこのままでよし!
そんな自分が目の前にいる気がして
とてもとても
怖くて、でも楽しみで 何より愛おしい
そんな私が今いるんだな
全部手放して
本当に愛と喜びで
生きる私でありたい。
]]>娘の中学3年間
いろんなことがあったけど
過ごしてしまえばあっという間でさ
大分にフォトショップとかイラストレーターとか学びにいったり
娘のダンスの送迎したり
東京と大分を行き来したり
隣の家のこーちゃんが本当にかわいかったり
いろんな変化とともに
娘はカナダに留学することが決まって
東京に戻るタイミングで
コロナがやってきて
思ってた以上に長引きそうだし
不安がすごかったんだけど
湯布院で生活する間、私はいろんな変化があって
会社を縮小して
ちょうど東京に戻る2020年は恵比寿の1店舗になるっていうタイミングだった。
いろんなことクリアにして
新しくリスタートのつもりだった
だけど
先が見えない不安と
引っ越しのタイミング
娘のカナダ行きも飛行機が連日キャンセルで渡航できない
なんか全部がうまくいかない
東京に戻ったら色々がんばろーって思ってたのに
いつまで続くんだろって
会社のスタッフも
いい子入ったーーと思ったら
病気になったり
急に連絡が取れなくなったり
自分の夢に向かって行くことを決意したり
今まで人が足りなくなったりすることほとんどなくて
本当にタイミングよく素晴らしくスタッフが集まってきてたから
私はいつでもラッキーだし
絶対になんとかなるだろって思ってたんだけど
そうもいかず。
いいこともいっぱいあったし
嬉しいこともいっぱいあったけど
もうなんか何が正解なのか
全然わからないなーってなってた。
スタッフはほんと、いい子だし
写真も上手になっていくけど
なんか私がやりたいことと違う
そんなふうに思いながらも
やれることなんだろって
大人の撮影を考えてみたりしながら
BNIに誘われて入ってみたり
そこでの人脈から
いろんな新しい世界が見えたりしてた。
そんな中で出版したり
BNIのディレクターになったり
今までとは全く違う人脈ができたりして見える世界が全然違うなって感じて来たけど
コロナで不安しかなかった会社の売上は思ったほど大変にはならず
だけど
少しずつコロナが落ち着いて来ると同時に
いろんな困難がやってきて
自分の中の新しいチャレンジと
現実が全然釣り合っていかなくて
それでも今までなんとかうまくやってきたしねって
すごい深刻なふりして
めちゃくちゃ楽観的に
なんとかなるだろ、今までだってなんとかなってきたしねって
そんなふうに過ごしてたのかもしれない。
私なりにはめちゃくちゃもがいて
あーでもないこーでもないって
お金と時間を使って
苦手なこともしたし
自分を奮い立たせて
新しいチャレンジもしたんだけど
どれもなんだかしっくりこなくて
結果気づいたことは
本当に私が欲しい物は、
心の平安なんだなっていう、結論。
たくさんの出会いと
気づきと
自分の人生との向き合いの中で
苦しくて逃げ出したくなることばっかりなんだけど
それでも私は本当にラッキーなんだと思える
大きな収穫もあった。
そもそも改めて今
自分の過去を振り返って
自分が大事なポイントを文章にしようと思ったのは
私自身の人生を本当にもう一度再創作して
今の、ありのままの自分を
しっかり受け止めて
これからの人生を生きていこうと思ったから。
そうこうしているうちに
今もなお、毎日怒涛の忙しさと気付きと直面で
死にそうになったりもしてるんだけど
後少しでなにか掴めそうなところまで、来てるかもなあという感覚はある。
]]>
2017年かな
たぶん
娘が小6の卒業を終えると同時に
私は東京を離れて大分の湯布院に引っ越しをした。
離婚したから
それがきっかけもあったんだけど
ずっと会社をスタッフたちにもっと任せて
利益ももっと自分たちでとれるようにしていきたかったし
いろんなことに
今思えば人間関係とかね
疲れてたんだろうな
みんないい子だったし
お客さんもたくさん来てたし
それなりに人気あって
助けてくれる友達もたくさんいて
そんな中で、私はPARISで生活したいなとずっと思ってたけど
なかなか現実的にそれを実現させようと思うと
ハードルが高かった。
だけど
日本国内であれば
何かあればすぐに飛行機でとんでこれるし
なんかかんたんに思えたんだよね。
引っ越しするまで
恵比寿には3つの店舗と事務所があって
それぞれのスタジオや事務所にはスタッフがいて
外注で手伝ってくれる心付いよい仲間もいて
私って普通にものすごく恵まれてるし
なんかこのまま店舗がいい感じに拡大して
なおかつ私の手を離れて経営がなりたっていけば
いいことしかないなーって思ってた。
もっとスタッフたち一人一人が
やりがいもってスタジオで仕事できるし
やった分だけお給料もあがったら
やる気ださないスタッフとかいないと思ってたからね
湯布院に引っ越して
そこで新しい生活がスタートして
最初はなんだか数年間忙しかったいろんなつけがまわってきて
書類とか色々
めちゃくちゃ時間がかかって
それを整理して毎日が過ぎた。
家で食事とか作ったりすることもほとんどないから
私の料理のレパートリーってめっちゃ少ない
それでもたまにしか作らないから別にこまることもなく
だけど引っ越してからは
毎日自分が家のことしながら
娘の学校のことも
離れた土地での暮らしも
湯布院に行くと決めてからとった運転免許も
40歳を超えてから
新しい事がたくさんで
振り返るとほんとに贅沢ですごくラッキーなこと。
妹の家のとなりにあるマンションをしらべたら
分譲マンションだったけど
リゾートマンションで
見に行ったら温泉がついてて
なんだか急に贅沢な環境
だけど
私が東京に行ったりするときに娘を預けていけるように
絶対隣に住んでるほうがいいよねってことで
すぐに家を決めて引っ越しが決まって
トントン拍子に新しい暮らしが決まった。
料理とか全然できないし
そもそも食べることにあんまり執着なくて
何でも良かったから
今までは口にしなかった菓子パンとか何故かスーパーで買い込んで食べたりして。
妹の知り合いの団子屋さんが人手が足りないから手伝ってと言われて
軽い気持ちでOKしたら
週に4回くらいはいることになって
なんか普通に仕事みたいになってたし
湯布院に引っ越してからの私は
人生での初体験をたくさんした。
人に会うこともほとんどないから
娘と向き合う時間を本気で持とうと思って引っ越したけど
1,2ヶ月たったらやっぱり私は仕事がないと無理なのかなーとか
色んな気持ちが出てくる中で
スタッフを順番に湯布院によんで
色んな話をする中で
良くなるとだけ思ってた私の考えが本当に甘いんだってことを知った。
理想だった私の会社のあり方は
これっぽっちも存在してないんだなっていう落胆と
自分が一生懸命培ってきたものってなんだったんだろうっていう失望感と
想像もしてなかった裏切りと
それに気づかないスタッフと
バカばっかだなって
ほんと、社員って信じた人が馬鹿をみるんだなって
そんなよくわからない一般論みたいなものを信じて受け入れることが
自分の平常心を保つための唯一の方法みたいに思えた。
湯布院で感じた色んな気持ちは
私の人生で初めてのことばっかりで
あの頃は
離婚したせいで自分を責めて
全部うまく行かないのはなんかもう仕方ないし
自分で選んだ人生なんだって思いこんでた
だから
仕事も何ももう無理かもなって思って
どうやって手放そうかなと思ってた
だけど
そんなときになんか不思議なタイミングで
私のことを応援してくれる人との出会いがあったり
新しいことに目を向けて見ようと思ったり
隣の妹の家に新しいベイビーが生まれて
信じられないほどその子に癒やされてみたりと
少しずつ少しずつ
3年の間に新しい出会いが増えて
知らなかった世界をしって
私もまだまだなにかできるかもしれない
あきらめなくてもいいのかもしれないって
そんなふうに思えるようになった。
湯布院で過ごしてる期間で
私の肌荒れの原因が食生活にあることとか(当たり前の気もするけど考えたこともなかった)
健康のこと
経済のこと
なんかいろんな
今まで考えたことなかった世界を知ることになった。
]]>色々語ってきたし
これまでに何度も。
コンセプトがあって
素敵なスタジオだよーって
誰にも真似できないって思ってたし
空間とか
スタイリングとか
色々本当にすてきでしょーって
確かに素敵なんだけど
私がここ数年で直面したことが何かというと
自分の理想と
人が感じることには大きな違いがあるんだってこと。
実際
この表現であってるのかはわからないけど
理想と現実は違う、ということを思い知った、と、思っていた。
ややこしい・・・・w
素敵なことを提供して
全くの無名であるわけでもないし
ここで働きたい!って言ってくれるスタッフがいつも集まってくれて
そういう環境があたり前だったし
やりたいことも溢れてきて
いつか全部叶うんだって思ってた。
PARISが大好きで
PARISに住んだり
そこでスタジオやることも考えたりして
不動産調べたり
ビザのこと調べたりしたんだけど
結局現実にはそれを実行することもせずに
コロナがやってきて
コロナ以前に
会社のスタッフへの不満と
目の前にある問題からずっと目をそむけて
自分はやれること全部やってるし
わからないみんなが悪いし
私のこと本当にわかってくれるスタッフってどこにいるんだろうって思ってた。
やめると言われたら
めちゃくちゃ悲しいけど
常に経営者は強くないといけないと思って
特に気にしてないふりをした
フリなのかなんなのか
自分でもよくわからなかったけど
会社を経営してたらそんなの当たり前かのように
自分に言い聞かせて過ごしてた
だから
だんだん何がしたいのかわからなくなってたし
スタッフの気持ちとか
寄り添ってるつもりで
なんにも見えてなくて
私を理解してくれる人がいない環境での仕事って
地獄を生きてるみたいだなって思うようになった。
途中で
離婚もしたし
引っ越しで東京から大分に移動する過程の中で
生活が一変して
常に自由を選んでいると思ってたけど
何がしたかったのか
私はどこに向かってたのか
今となったら全然わからないんだけど。
その時その時は
自分の出来ること必死でやってたし
それが正義かのように生きてたんだけど
色々苦しくて
何をしたらいいのかわからなくて
誰かにすがりたいし
助けてほしいし
だけど
それを口にしたら死んでしまうかのような気持ちになって生きてたのかもしれないな・・・・
]]>
これ、どんな意味があるのかって
経緯をよく聞かれたんだけど
話すと長いしってことで、いつもなんとなく濁してきて
今ここで書くとなるとなんだか今更感もあるんだけど
大事なことは
ブランドの名前には、やっぱりそれなりに想い入れがあるってこと
そして
覚えてもらいやすいこと
他と違うこと
色々あるんだけど
ナナジュウゴシー
と、よみます。
ライフスタジオの恵比寿店をオープンして
思ったことがあった
めっちゃくちゃお客様が来るし
衣装どこで買うんですか?って質問もめっちゃくる。
だったら
絶対セレクトショップやったほうがよくない??と、思ってた。
でも私
何をするにも思いつきで
ちゃんと企画書つくったり
プレゼンしたりとか
そういうのが本当に苦手だから
社長に色々聞かれると
そんなの聞かれてもわからないし
ただ直感でいいと思うと言うしかできず。
そんなときに恵比寿に店舗をオープンしたから
やっぱり私はセレクトショップがやりたかった。
だから
チャンスをなんか探してたんだよね。
そして当時弟が不動産で働いたりしてたから
なんか、暇さえあれば不動産物件みて
気になるところを見に行ってた。
そして発見したのが
恵比寿22番館があった
駅から徒歩2分の物件。
駅徒歩2分なのに
値段が安かった
店舗もOKとかいてある・・・・ということで
即効見に行くことになったんだけど
まあ、階段で。w
登りながら
流石にお店でこれはないかーーと思ってたんだけど
中に入ったら
天窓みたいな
なんだかなんともいえない素敵な空間に
私、なんかピンときて
すぐにここ、かりちゃえーーとなった。
借りたところで何もすぐにはできないのはわかってたんだけど
止められない感じで私。
借りてから社長に話したら
めっちゃ怒られたけど
内装工事はいつになるかわからないから
そう思っとけと言われ
まあ、仕方ないかと気長に待つことに。
当時内装を自分たちでやってたライフスタジオでは
外注するとかいう選択肢は全然なくて
数ヶ月分の家賃をはらったとしても
ぜったいに内装は社長にお願いするのがいいと思ってた。(金額的に)
そしたら
3月に地震があって
店舗の工事の予定が色々変更になって
急遽工事着手。
5月3日は私のバースデーだから
その日にセレクトショップをオープンすることになって
ホームページとか
商品仕入れとか
色々準備して
スタートした。
お店の名前は
momdoll
これまた運命のような出会いで、
当時一緒に仕事することになったうつみさんとの出会いから
セレクトショップ兼カフェをオープンした。
最初は私が店舗に立って
ライフスタジオの新しい店舗の内装とかも私が手掛けていたこともあって
色々知らないわりに
私はなんとなく順調に赤字を出さずに
スタジオと
セレクトショップを行き来しながら
楽しいし
夢のある仕事をしてたんだけど。
少しずつ
人から色々言われるストレス
それも同じ会社のグループの中で
自分だけが自由にやってることへの避難とか
いろんなのがでてきて、ストレスで死にそうになって
独立しちゃおうかなーーって
思ってたけど、えいって飛び込めなかったところに
思い切ることができる瞬間がやってきて
めちゃくちゃ心の中であっためていた
数字×アルファベットのブランド名
ここで 75c が浮上して
なんとなく、採用。w
75は
実はカカオ75%の数字で
別に当時のライフスタジオが75カットの写真をお客様に渡してたからでも
私が75年生まれでも
その他色々周りに言われた理由でもなく
カカオ75%が好き
っていう友人の言葉から
大事な数字になった、っていう経緯。
そしてアルファベットは
順番に
75a
75b 75c....って響きから
ん?
よくないか・・・・・??って
そんな流れでちょっと私の心に留まってた、ブランド名の候補だったんだけど
社長にライフスタジオから独立スル宣言をしにいった時
ブランド名をきかれ
全然考えてないといったら
そんなわけ無いだろと言われて
そこからの
浮上してきたやつ。
オープンまでに
もっといい名前が決まったらそれにしようと思ってたけど
時間が経てば経つほど
なんだかしっくり気に入って
ナナゴーシー
とか
ナナジュウゴドシー
とか
色々言われるんだけど
違くて
ナナジュウゴシー
となりました。
ちなみに
カカオ75%のチョコをメインで作ってる
フランスのチョコブランド
【フランソワ・プラリュ】っていうのがあって
そのブランドとの出会いが全てのスタートだったりするんだけど
こんなふうに
私は昔からなにかにつけて意味づけするのが得意。
そしてコンセプトに織り交ぜたり
自分の想いを表現するのに使ったり
そういうのが凄く得意だし
好きなんだってことを、このことを通しても感じるようになって
それがこれまで何度も何度も私にチャンスをもたらしてくれた。
自分の得意を形にしていく場所があるっていうのは
それこそ本当にとっても大事。
75cがオープンした時は
photostudio75cだったんだけど
なんだかしっくりこなかったんだけど
つけないとなんだか何なのかわからないしねってことで
つけただけになってた。
途中でね
いざ、独立してから
もっとお客様に知ってもらうにはどうしたらいいんだろうって
コンセプトごとに違うスタジオを展開しながら
思いついたのは
【photostyling】でした。
商標とったりするのにも
色々と難しさがあったりしたんだけど
最終的にはphotostyling75cは
ロゴ登録ができて
無事にお見せできるようになって
今に至る。のです。
言葉一つにも思い出があって
思い入れがあって
とても、大切な、私を作る要素であるということ。
]]>
ちょうど日本でシャネルの映画が3本立てで公開されて
大好きなさきさんが
シャネルの映画、絶対みてね!!って言ってたから
全然ブランドとかに興味のない私だったんだけど
映画見に行った。
順番がどうだったかとか
全然思い出せないけど
仁美と
神楽坂の仁美の家に泊まりに行って
神楽坂の、坂道を歩きながら
私がやりたい【女の子専門店】について
話をした。
ただただ
自分の理想とした形を
イメージして言葉にする
それが楽しかったし
ある意味あの時は
叶うと思ってなかったからこそ
自分の口にスルことができてたのかもしれない
仁美は大学の後輩で
だけど留学時代は重なったことがなくて
妹の妙子が
仁美を連れてきて
一緒に仕事をするようになった
わかこも妙子も仁美も
おしゃれで人当たりよくて人から好かれて
本当に贅沢なメンバーなのに
私はスタッフたちのダメ出しばかりしてた
私の理想を現実にするために
みんなが過ごすスタジオの空間を私がしっかりつくっていくねって
6人兄弟の2番め長女の私は
なんだかそんなふうに
みんなのために私がやってあげなくちゃって思ってた。
だから
そこに乗っかってきたらいいんだよって
多分本当にそれが一番最善なんだと思ってた
今となっては何が正解なのか全然わからないし
そもそも正解とかもない気もするけど
ただただ私ができる精一杯だった
それが周りにどんなふうに写っていたとしても
私は本当に社員が大切だったし
それが私にできる最善だと思ってた
だからそう思うことだけを
本当に周りを信じていつも、やってるって思ってた。
恋するマドモアゼルってさ
ほんと、私が考える女の子専門店を表現するのに
本当にものすごくいいコンセプトだって思う
未だに思う。
しかもなにげに【恋するマドモアゼル®】って商標もとってる
なぜだか
そうしないといけない気がするくらい
大切にこのコンセプトと向き合ってた私。
社長から
自分が大事にスルものは常に
すぐに商標をとったほうがいいと言われて
そのとおりにしただけなんだけど
結構大事なことだった
私が考えたコンセプトは
それだけで世界観がイメージできるような
そんなものだと自分では自負していて
ちょうどさきさんに言われてシャネルの映画をみて
そこからいろんなことを知りたくなって
日本で買えると思われるシャネルの本を全部、買いあさり
それを毎日読んで、読み明かす日々
そこから
自分の独立までに
あっという間だけど
必死で向き合って、うまくいくかどうかわからない恐怖とか
そういうものと向き合うために
ブログに向き合って
自分の気持ちを書き綴ったりした。
頭の中には
ものすごく明確なスタジオのイメージがあって
誰にも真似できないし
きっとそこに募ってくるお客様とは
本当に気の合う友達みたいな
そんな関係になれるような気がしてたし
口コミで
絶対に広がっていくだろうなっていう核心みたいなものがあった。
だから本当に
規模は小さいけど
最高のスタジオだと思ってたし
もちろん今でも思ってるけど
小さくても
ずっとずっと、語り継がれるような
そんなスタジオで有り続けられるような気がしてた。
]]>
スタジオメモアってね
私の友達が、アメリカに住んでて
私がスタジオ出すときに、何かで連絡をとってたんだよね
なんだったんだろ・・・・
メールかなにか?
スタジオの名前を考えるのに
なんだかパッとしたのがなくて
全然センスいい名前が思いつかなくて悩んでたときに
友達が
【Memoir】で、メモアってどお?って連絡をくれて。
日本だと
メモアールとかメモワールってよんで
なんだか響き的にあんまりだったんだけど
英語で読むとメモアっていうんだよーって
これ
伝記、とかそういう意味があって
家族の写真とか撮っていくなら、その家族ごとの思い出を
写真で綴っていくっていう意味で
いいんじゃない??って言われたの。
それで
それをそのまま提案して、採用されて。w
だから、スタジオメモアっていう名前で
オープンした1号店。
2号店を出そうかって話になった時
李社長が【LIFE STUDIO】に変えたいっていうから
えーーー
そんな早くーーーって思ったけど
まあ、仕方ないか、って感じでその時は。
私がスタジオの名前を決められるだけの決定権ないしね。と、思ってた。
本当は
ライフスタジオってなんか名前があんまり好きじゃなくて
やだなーーって思ってたけど
その時は社長の想いとか
そういうのも全然わからないくらい
自分の考えとか思ってることが一番いいだろとどこかで思ってて
それを察してくれる人が正義みたいな私だったなと。
ライフスタジオは
社長の想いの通り
覚えやすいし
すぐに浸透して
名前が変わったことを残念と言ってくれる人もいたけど
本当にオープン初期に、めちゃくちゃスタジオを大切にしてくれたお客様から
自分たちが見つけた特別な場所がなくなっちゃう気がして
寂しいなーーみたいに言われた
だからそんな気持ちをちゃんと
私達は覚えてますよ
感謝してますよってとこから
ずっと関わっていきたいなって思ったんでした。
スタジオメモア
なくなっちゃったけど
そのあと着々とライフスタジオは店舗を増やして
私も
大好きなインテリアとかそういうの
どんどん任されるようになって
それが本当に楽しくて
ワクワクしながら仕事してたんだけど
大切にしたい気持ちとか
色々人が増えていくと
結局思えば自分の想いを貫きたかった私は
フランチャイズのオーナーが増えれば増えるほど
なんだかうまくいかなくなって
そこから抜け出すことばっかり考えるようになった。
ライフスタジオを子供のように思ってたけど
一社員である私は
何も発言力を持たないと思ってた
言っても無駄
勝手にそう思ってたから
泣いて泣いて
きっと心の中では社長が私の味方してくれるんじゃないかって
一緒にやってきたし
きっとどこかで私のことをわかってくれてるって自分の都合だけを押し付けてたんだ
だから
ずっと解決策がみつからなくて
苦しかった
そんな中母親ががんになって
精神的に色々苦しくて
仕事をやめようと思ってたけどそれもそのままなんとなく言い出せなくなって
それを機に社長から
独立してスタジオのフランチャイズオーナーになることを提案された。
だから
私は自分のスタジオをもたせてもらうことになって
カメラマンじゃないし
女だし
当時はそんな事考えてた
私にできるわけない
私が社長になんてなれるわけない
って。思ってたんだよな。
だけど
私も知らない間に
社長と一緒に仕事をする中でいろんなことを学んでたから
会社を作ったりとか
お金を借りたりとか
そういうこともこなして行けるようになって
いろんなこと、思った以上にスムーズで
会社の名前も
私は迷わずメモアにしたんだ
それを社長に話した時
ちょっと喜んでくれたと思ったんだよなー
]]>色々あるけど
かなりの優先順位の高さで
李社長との出会いがある。
ほんとに運命的。w
正直普通に考えたら
なんで恋愛感情が生まれなかったのか不思議だなと思うくらい
本当に何でも言えて
頼りにしてて
そして、いつも一緒にいた。
最初に出会ったのは23歳のときで
私が、旦那さんとのウェディング写真を撮ってもらった時。
そのあと再会して
まさか一緒に仕事することになるなんて思わなかったけど
そこから5年後
娘の出産と同時に
私に人生が色々変化し始めた。
もうここからのことって何度もブログに書いてるし
多分このブログのどこかにも
社長との出会いのこととか
めちゃくちゃ詳しく書いてた気がする。
スタジオのオープンのときにももちろん書いてる。
だけど
今思うのは過去のことよりも
この先の未来なんだ。
私はなにか困難があると
過去を振りかえって
どうやって乗り越えてきたのか
どんなふうに自分がやってたのかを真剣に考えて向き合ったりしてた。
だけど
大事なのって今はもうそこではなくて
これからどうして生きたいのか、ってこと。
李社長と出会い、ライフスタジオをオープンするまでの私は
ほんとに世間知らずで
仕事もバイト、しかも派遣とかしかやったことなくて
いや
本当に世間知らずで(何度も言うけどほんとに)
ちょっと今だったら恥ずかしいくらいなんだけど
だけど必死だったし
自分が社長と一緒に仕事をスルことで
得たいものが明確にあった。
お金を稼ぐ方法ももちろんなんだけど
私の人生をどう生きるのか
そんなことを本当に本気で考えて
向き合わせてくれる社長だった。
いろんなタイミングがすごくラッキーで
私はなんだかほんとに運がいいんだけど
それも私が引き寄せてるという言葉に
あんまり素直にそれを受け入れることができなかったんだ
だけど
今は本当にそうだなあと思うし
それがすごく自分の人生を更に豊かにしてくれる気がしてる
人に認めてもらって
チャンスをもらって
それによって自分が想像してた以上の世界を見ることができたって思ってる
私学生の時に
すごく怖いし苦手な先輩がいて
その人に、自分の過去の話をしたら
なみちゃんのその人生いつか本にしたらいいねといわれて
調子にのって
いつか本を出したいと思ってた
だけどその本は
私が有名になって
私のことをただただ綴り、そこに私をこうして作り上げてくれた
たくさんの感謝すべき人の名前を書きたいと思ってた
私が愛する全ての人に
その想いを伝えたいと思ってた
だからそれがすごく具体的な私の人生の目標みたいになってた
2006年の12月にスタジオメモアをオープンして
mixiでお客様の集客に成功したんじゃない?!って思うまで
地獄みたいな時間だったけど
でも
今思えば半月くらい
今みたいなスタジオもなかったし
かなり周りからは批判されたけど
ただただ私がいいと思うものを
いいと思う人は一定数いる
ただそれだけの根拠で
スタジオオープンして
口コミが広がっていくまでに
そんなに時間がかからなかった
これは本当に素晴らしい成果で
私、がんばったんだよな
mixiも
本当に本当に最高の媒体で
そこで出会ったたくさんの人との出会いも
今もまだ継続していて
SNSがまだ全然なかった時代
本当にそこに出会って最高に恩恵を受けた私。
]]>
初めて文字にスルなと思うこともある
だけど
学生時代をまとめるにしても
韓国の留学はあまりにも濃厚で
なんかここは区切ってみた。
韓国への留学
今みたいではなかったし
本当に人生の転換点だと思ってた
18歳
奄美大島で高校2年まで過ごして
3年はまた東京に戻って
なんとなく、東京で女子高生をして
留学。
新しい環境で
いろんな苦しみと
葛藤と
友達にも伝えられない気持ちがたくさんあった。
そして人生のとても大きくて大切な決断をした。
親の信じる宗教を
私も信じられる
そして
信じるよりも、私は留学して
自分がその世界をしったんだ。と、思った。
だからそこに従ったし
それが本当に私にはとても刺激的で
最善だった。
結婚も、そうやって
はじめましての人と
決めてもらった人と一緒になることが
私の人生の最高の、最善の方法なんだと思った。
私はたくさんの愛を受けて生きてきたし
幸せだと思ってたし
だからこそ
私には私が本当に愛せる人との出会いしかないのだと思ってた
だから全然不安とかなくて
希望に満ち溢れてた
18歳ってすごいし
私すごかった。
だって本当に
私の人生のとっても大事な大事な決断を
本当に私
自分が自分の意志で決めて
そこに、身を委ねて
心配する両親を説得するために
私にできることをして
そしてその時をまって
旦那様と出会った。
うーーー
だけど好きになれない人だった。
笑えないけど
笑えなかったけど
今は笑える
他人事みたいに思う、自分の思い出も
今となっては私の人生に欠かせないものだったのだと思う。
だからあえて
今、私の人生を隠すことはできないし
それが本当に
あの時のワタシには最善だった。
そして
大学進学を決め
私は韓国の大学に進学することになって
統一神学科に入学した。
韓国語は上手な方だったけど
やっぱり勉強は好きじゃなくて
要領のよさだけで生きてきて
なんとなく、成績も悪くはなかった。
7つ年上の旦那様とは
いろんな事があったけど
尊敬できる面があって
それだけで私は一緒にいれた
とても大切なことだったから
だけど心の中はなんだかいつも満たされなくて
いつになったら私はこの人とともに
私の理想の人生を歩めるんだろうって思ってた
普通にいったらちょっとおかしいよね
宗教やだなって思われる
それもわかってた
だからあんまり言いたくない
私の旦那様がきらいなんですなんて
絶対に口にできないし
私が悪い
私がわがままなんだって言い聞かせてたのかも
いい人なんだけど
そういうのどうでもよかった
ただただ愛されたかったんだけど
その時はそれもよくわかってなくて
満たされない気持ちは
寂しさだったんだなと思う
口にすることもできなくて
さっしてよって
自分から気づいてよって
そして私の理想になって生きてくれなくちゃって思ってた
全部おしつけて
でもそれを受け止めてもらえないことが
私の不満だったし
寂しさだったんだ
大学時代は婚約時代みたいに過ごして
私は大学を卒業して
25歳になる歳に
旦那様はアメリカの大学院を卒業してアフリカのケニアに赴任が決まった。
海外で生活したかったんだけど
アフリカっていうのにびっくりして
情報がなにもなさすぎて
一生日本に帰れない気がしてた
だけど
行ってみたら
色々あったけど今となってはマジでいい思い出しかなくて
むしろ私の人生の幅を思い切り広げてもらったんだなと思う。
大学時代は
韓国人の友達とほんと仲良くて
大好きだったし
みんな同じ協会の子で
だからこそ、同じ気持ちがわかるから
何でも話せた。
だけど
国の違いとか
色々あるから
だからこそ、安心できた私だったんだなきっと。
ケニアで暮らす中で
旦那様ともたくさんぶつかったけど
2人しかいないから
いろんなところを超えたんだ一緒に
私は
強い性格だけど、旦那様に頼って生きたいと思ってた
だから海外で
私が英語できないからさ
頼り切って生きていきたいって思ってた
あんまり伝わってなかったのは
私が全然伝えてないからなんだけど
それさえも私には不満だった。
学校にかよって英語の勉強をして
それがまた
なんだかいい感じに楽しくて
妊娠がわかったとき
日本に帰るのいやだった
つわりがひどくて
全然食べられるものがなくて
4ヶ月の安定期に入ってすぐに帰国して
そしたらそのまま韓国で出産することになって
その後は
自分でも不思議なくらいスムーズに?
今の仕事をすることになって
李社長と一緒に仕事してた。
いっぱい、端折ってるけど
もはや私の中で
端折れるくらい
いろんなことが整理できてるんだなーとおもったら
それはそれでとても嬉しい。
]]>
ずっと思ってるのにかけないこと
どこかで誰かに知られてはいけないと思ってたこと
隠し通したいことだと、思ってたこと
全部結局自分の思い込みなんだなと思ったから
自分のことを本気で見つめるのは
何度もやってきたんだけど
今もう一度必要なんだと思う。
1976年の5月3日
小さい頃のこと
全然覚えてない
3歳くらいの時
おばあちゃんちに、おいていかれておもちゃを買ってもらった記憶
自分の中の記憶ってこれが多分一番古い。
アメリカの幼稚園のことは
写真とか
人に聞いた話の中の私としてしか記憶なし。
覚えてるのは
日本に帰ってきて
町田の広い家での暮らしと、幼稚園。
そこで友達になったかわいいロングヘアの子。
でも意地悪だったな。
記憶はあいまいだけど
その子からのとばっちり
色んな所で先生に褒められた
だから私は褒められて生きることの、醍醐味みたいなのもってたのかもしれない。
でも幼稚園の時は
いつも怒られて
嘘ついて
そんな記憶しかないかも。
引っ越して
小学校は3回変わった。
最初は小1だったから
あんまり記憶ないけど
小2までの座間の家での自分って
本当にひどかった。
なんか、お兄ちゃんにめっちゃ怒られた記憶と
いつも母親を悩ませてた記憶。
多分わりと頭が切れる子だった
周りよりも
だからいろんなアイディアが浮かんだし
今思うとそれは
周りよりも全然思考回路が早くて
小2としては
驚かれるようなことをたくさんして
見つかって怒られて
だけど対して自分の記憶にそれが
大変なこととして起きてなかった。
小3で引っ越して
4年間の小学校生活で
色んな体験をして
小3と小5、小6は同じ先生
小4のときの先生が、すごく好きだった
なんか
色んな場面で急に先生からほめられたり
抜擢される経験があった
足も速かったんだけど
小4のときにリレーの選手に初めてなった記憶があって
だから
なんなんだろ
特に得意なことがあるっていう認識はなくて
背が高くて
学年で一番。
太ってなかったけど
痩せてもなくて
洋服好きだったけど
おしゃれかと言われたらよくわからないけど
好きな物を着てた。
家でテレビとか決まった時間に決まったものしかみれなかったから
全然知らなかった
ドラゴンボールが流行った時も
ドラゴンボールの歌を男子が歌ってたときも
知らなくて
なんか自分がそういうのに、話題についていけないのが凄く嫌だった
めちゃくちゃ嫌で
なんとなく私は何でも知ってるんだよっていうのを
必死で装って生きてたのかもな
2人の先生から
自分のアイデンティティができたと言えるくらい
小学校の4年間
ほんとにたくさんの影響を受けた
もちろん親からもなんだけど
先生の影響が
本当大きかった
頑張ってるのにもっと頑張れって言われてる気がした
勉強特にできるわけでもできないわけでもなく
字がきれいって言われて
リレーの選手になって
あとは背が高くて
あとは好きな男の子の話が好きで
光GENJIが好きだった。
いろんな友達の
相談乗ったりして
誰とでも、仲良くしてた。
合唱団で小4から頑張って朝練して
歌上手だった。
楽器とかできないけど
ソプラノが綺麗にでるから
先生から団長を指名されて
やってた。
楽しかったし
自己肯定感がめちゃあがった。
それによって
他のクラスの友達とたくさん仲良くなって
学年の人気者の子と仲良くなった。
それがなんだか自分の中の優越感みたいなね。
中学なって
先輩へのあこがれ
あとホットロード。w
部活はバスケ部に入るつもりが
先輩怖かったし
陸上部の体験が楽しくてなんとなく入った。
走り幅跳びを小学校のときにやったら
先生からすごい褒められたから
調子にのってそのまま幅跳び専攻で陸上部
長距離嫌いで
トレーニングとかやだったし
色々ごまかして過ごしてたんだけど
中1の終わりに足にちょっとしたポリープ?みたいなのできて
手術したら部活にしばらくでれなくなって
そこから先生が担任だったんだけどなんかもめて
嫌いで、やだなーーってやってたら試合に出させてもらえなくて
そのままフェイドアウト。
バスケ部の先生と仲良かった
で
そのままバスケ部に入ることになった
球技が得意なわけではなかったけど
なんとなく
うまくやるすべをもってた
だからなんとなく
弱小バスケ部だけど
楽しくやって
あこがれの先輩もいて
先輩が引退したあとに入って
友達もいたし
後輩ともなんだか揉めたりしたけど
ふんわり?バスケ部に所属して
卒業した。
中学は
先輩のストーカーみたいな日々を過ごしたり
かわいい女子の先輩から手紙もらって文通したり
女子の先輩から呼び出しされてみたり
他のクラスの子と遊んだり
楽しかった。
いろんな事が
なんだか一番楽しかった記憶がある。
すごく好きな人ができたり
受験があったけどその時奄美大島に引っ越すことになったり
なんか色々
中学だけど一生懸命生きてたなw
小さなころから私は親が特殊だった。
特殊だと、思い込んでた。
でも気がつくまでどれくらいかかったんだろう
正直親のことを全然わかってなかった
自分の家の環境が周りとどう違うのかとか
あんまり考えた事がなかった
でもドラマティックな展開とか
ドラマとか映画とか
雑誌とか
そういう作られた理想みたいな世界がとても好きだった。
だから私はいつか
なんとなくだけど
ハッピーエンドな王子様みたいな出会いとかあったりして
幸せに一生暮らすんだと思ってた。
漠然と
真剣に生きてたけど
私が望む人生も
ただそれだけを考えるような
そんな学生時代だった気がする。
高校は急に奄美大島に引っ越して
そこで人生のいろんな初体験をした。
田舎暮らしとかバカにしてた
友達もいらないって思ってた
まだ飛行機とか
ねたら治る。
日本に戻った時はきついけど
こっちではいつも超元気
の、はずだったんだけど
ひたすら眠い。
午後になると特にやばい
しかも家にいると絶対に横になってしまう。だって眠いから・・・・
そしてねてる
割と本格的に寝てるから
メイクがめっちゃ落ちてる。w
日本で昼寝してメイク落ちる体験をしたことがないから
一体寝てる時にどんななんだろ、私・・・w
と思うんだけど
今日もやっぱり眠いから
歩いてすぐのところにある
ミスドみたいな、Tim Hortonsにきてみた。
フレンチクルーラーみたいなのを頼んだら
めっちゃ甘い・・・・
集中してここから
ちょっとこの間のことまとめるのがここでのミッション。
日本に帰る前にやるべきこと。
やろうと思ってたこと、とか。
]]>
昨日の夜からなんとなく心にひっかかる気がかりがあって
それが思った以上に自分に大きくのしかかる
不安材料が自分にやってきたとき
まだまだ自分を律することが難しくて
だいぶ、本当に不安とかない日々を過ごしてたんだけど
体験したことのない
いろんな恐怖に塗れると
人ってこんなふうになるのかもしれない
悩んでる暇があったら
とにかく動く
ただそれだけなんだけど
うまくいかん
だからなんとか自分で自分の気持ちを把握するために
ブログに逃げる
たまにはそれでもいいと思う
なんでもいい
今のワタシはそうであるということ
ただそれだけ
なんだか自分が捨てられない
もっともっと
私はさらけ出して生きていきたいんだけど
全然だめなんだな
何を失うのが怖いのか
もはや失うものとか何もない気がするんだけど
なんだか今まで作り上げて来た自分が
好きすぎるのかもしれない
うーーー
どうでもいいなと思いつつ
めっちゃ重要なんだきっと
最高に良い格好シイで生きてる私
それも私
それは受け入れられるようになったんだけど
自分が期待する人に
なんとなく届いてないよっていうことを感じる瞬間の恐怖にもにた
なんか感覚が本当に怖くて
怖い怖い怖い怖いって
自分の中でぐるぐるぐるぐる
この区別が
本当にできるようになったら
本来私が生きたい人生を
もう少しほんと
生きられるようになりそうなんだけどな。
]]>
今まで
素直に綴ったこちらと同じように
思うこと全部書くことにした。
使い分けよくわからないけど
色々と
もっと発信していこうかなと思ってる。
思ってるだけじゃ動かないけど
ありのままの自分が
なんだかいいかもと思えるようになってきてる、ここ最近。
嬉しい。
]]>あまりにも眠くて
ブログを開けず
だけど
今日は一つ大きな達成感があって
どうしても。
大切な人に
とても認めてもらった感覚があって
包まれているような
そんな感覚。
大事
そして私は人をうけいれて
承認したいのに
そこが本当に下手なんだなってことを最近痛感している
私は
自分が我慢すればいいっていう自分が、いて
そこからいろんなものをみてるから
すぐに自分にもどっちゃうんだけど
それをちゃんと区別できたら
もっともっと
自分がが好きになれそうなんだけど。
本当は大好きで
ただただ感謝してるのに
うまく伝える方法がわからないと思ってる今。
どうしたら届くかな。
]]>体が疲れて
そのまま寝てしまう毎日。
体が限界ーーーってなってるのに
なんで今それって
思われるだろうなと思うことが色々あるけど
自分のこだわり
自分の直感
強制的に
完了したり
はじまったり
その中で
私がほしいいろんな未来が
昔よりももっと鮮明に
夢物語ではない形で
きっとかならず
目の前に現れてくる
そんなイメージは
毎日膨らんでいく一方。
ただただ
毎日
出会えたことに感謝して
生きる。
そんな自分が
好きだったりもするのだ。
]]>毎日休む暇がないくらい
いろんなことが起きるんだけど
不思議とそれが大変なようでいて
すごく、自分の人生が活気づいているように思うこと。
過去ばかり思い出して
私はもっとこうしておけばよかったとか
昔はもっとこうだったとか
そんなことをいくら考えても、
過去は過去で何にもならないのに
知らず知らずに私はいつも
自分がいるべき場所とか
私はどうあるべきみたいな、そんな固定概念みたいなものに
がんじがらめになって
自分で自分の首をしめてたんだなあって
そんな風に思うのだ。
ここんとこ
忙しい忙しいー−−って思ってた時期をはるかに上回る
タスクに試練にいろいろやってくるんだけど
今の私は
ポジティブにではなく
ただただ、ありのままを受け入れて
パワフルに
ただ、目の前にあるやるべきことを
全力で取り組む。
そんな時間を過ごしている。
それがいいかどうかというよりは
なんだか心がすごく
自分の未来を見つめるうえでなのかな?
おちつくのです。
誰にかくでもなく
自分のために書く、この文章を通して
私が私である、ということをいつも確認する。
だから、眠くても
今があって、
乗り切れる。
何かをなすときは
眠くても必死で
向き合って
納得のいく自分の時間を過ごす。
これにつきるのだ。
]]>自分で自分を承認できるところを
50個あげてみよーーーって
ふと思いつき
会社のスタッフとともにやってみて
みんなのを見たら
すごくその子の特徴がわかって
おもしろかった。
愛おしい。
そして自分でも
あげてみたらわりとでてきて
自己承認。w
リスト化って大事。
しかも
やらないとなのにできてないリスト
これも書き出してみた
まだ完成してないけど
どんどんでてくる。
毎日のToDoに
入れてるのに終わってない。
そもそもこれが
もうアウト。
一つ一つ
習慣にして
改善されていくイメージで
つくろ。
]]>寝不足からなのか
目の奥が重くていたい
だけど薬を飲むほどではなくて
体調ちゃんと整えないと
部屋の片付けもして
スッキリと
後回しにしないで
ひとつひとつ
クリアにしよう
]]>目の奥が、重い。
寝不足で
クラクラするけど
さっきちょっと横になったら
うっかり約束をすっぽかしてしまった・・・・
ごめん・・・・
2023年
さあ、スタート!!
みたいな感じだったのに
強制的に
なにかの力が働いて
なんだか、自分を振り回してくる・・・
そんな感覚
だけど
これは本当にチャンスなんだと思える今が
私
強くなったなあと。
成長しなくちゃ成長しなくちゃって
がむしゃらにやってきたけど
成長よりも
拡大したいんだ、きっと
やっと今になって
自分の気持ちに嘘をつかないことを
自分の中でとても心地よく思う自分がいて
いろんな状況や環境を
全部クリアして
必ず成功してやるーーーって
謎の、テンションでもあるけど
5日に
アメブロのオフィシャルが公開されて
いちばんなんだか気持ちが落ち気味だったけど
なんだか
自分をそのまま
ありのまま
さらけ出してくいい機会なのかなと思って
やってみようと思う。
こっちとの使い分けは
ちょっとわからないけど
でも
思ったことを思うまま
自分のために
生きてみよう。
]]>
頑張ってるなあ、ワタシ
と、思うことと
いつもあと回しだなあ、と感じること。
お正月だし、別に休んでいいよ、っていうのも普通だけど
普通に過ごすより
誰もしないことをする、っていうことに
割と価値をおいてるワタシ。
今年は本当に
大きく変わる年になると思っていて
それは、私が長年抜け出すことができなかった
自分の悩みの種みたいな
きっと、自分自身の中にある見えないなにかを克服していく
そんなことが、可能になる時間を過ごしていくって、感じてる。
私が今私であるということ
今のままでいい、
今の私は、私なんだってことを
そのまま受け入れるっていうこと。
良くも悪くもなくて
ただそれだけのことを
そのまま受け入れること。
それができたら
なによりもきっと、私の中にある見えない壁が
なくなっていくように思う。
そのために
私が選んだことは何でも
私が責任者なんだっていうところから
全てに関わる。
そして、喜びを感じたことに素直に感謝して
自分を承認していくこと。
そこから
私の中に根深くある諦めの感情を取り除いていくこと。
これが、私が今年本当に手放したいことだし
その先に
何でも可能な人生なんだって言うことを本当に掴んだ自分を
手に入れたいし、手に入れるんだ。と、思ってます。
スタジオが
徐々にお客様数が減って
コロナのせいにして油断してたたくさんの穴があったこと。
直面するのが怖くて
見ないふりして誰かのせいにして
スタッフたちを信じることもできていなかった私だなあと。
だけど私の中で広がっていく
75cの構想は
きっとほかでは絶対に達成できないものなのだと
いつでも原点にかえると感じているから
諦めを手放して
本当に私が夢描いたスタジオの姿を
今年は恵比寿、広尾、代官山の3店舗で
しっかりと形にしていくのだ。
一からのスタートなんだって思うと
ドキドキするけど
ワクワクする気持ちを
もう一度スタッフたちと一緒に
作り上げていくのだ。
きっとその先に
ほしかったものはこれなんだーーって
実感して、心から感動する瞬間があるんだな。
今回は
何度も温泉に入りながら
ぼーーーーっと
今年一年の拡大をイメージしてみる。
全然違う自分に
ワクワクする年の始まり。
75cも11周年を迎えて
12年目のスタート!!!
やったるぜーーーw
]]>
まさに寝正月・・・・w
最近本当に夜が遅くて
色々張り詰めてたものもあり
物理的に本当に時間がたりないなーーって思うこともあって
昨日の夜湯布院について
今日は
朝からお雑煮食べて
少し横になったらそのまま爆睡。
昼たべて
午後どこにもいかないというから
そのまま何故かまた横になったら
爆睡・・・・
なかなかこんななんにもしないで寝るだけなんてことないから
1年に1度だし
いっか。って
なんだか自分に甘々だけど
たまにはほんとに大事な時間。
そのあと帰ってきた甥っ子が
前回はもう自分でやれるもん!って
お風呂も一緒にいってくれなかったのに
今日は抱っこして一緒に行こう!と
私を待ってくれて。
妹の家
もともと私が住んでたとこだからか
居心地よくて
温泉もついてるし
今日も
夜中に温泉
夜も温泉
それ以外外にでてない。
窓から見えるお天気はめちゃくちゃよかったけどね。
たまにはそんな1日を過ごして
いよいよ明日からは
本格的にスタジオブログに取り組もう、と
自分のコミット宣言。
かなり集中しないとだから
どうなることやら・・・だけど
一気に自分のモチベーションを上げてくチャンス。
しっかり自分の想いをつたえていくことに
専念しよう。
]]>
迎えてしまった。
いろんなドキドキとワクワクと
緊張もあるし
不安もある。
だけど
なんだか今年は本当に全然違う自分になれそうな気がしてる。
諦めを手放す一年にする。
それが
本当に私の求めるコミットでもある。
だってさ
本当にどんなときでも私の中のあきらめがいろんなことを邪魔してる。
一人でやりたいことなんてなにもないし
いつだって
誰かに頼って生きていきたい私。
本当はそれだけで
人生の全部の喜びって得られのではないかと思うくらい
そんなふうに思ってるんだけど
なかなかね。
上手に表現できない。
だけど
上手に、表現できなくても
ただただ
想いを綴る。
久しぶりに
その練習をしてる。
誰かの評価や判断でもないし
反応でもない。
ただただ、私はわたしだし
ただ、
ここにいる私は本物だってこと。
築地にいって(なにげに初めてね)
海鮮丼を食べて
空港までの道のり会議して
飛行機の中でもずっと確認して
はーーーー
なんでこんなかんたんなことがわからないんだーーーーって
笑えてくるけど
誰かがやるっていったことやってなくて
年越し2分前に最速の電話して
なんだこれって思うんだけど
ちょっと笑える年越し。
そんな年越しもなんか
私っぽいなと思ってしまって
良しとする。
スタジオのブログも
再始動。
私の想いを
本当にひろめていきたくて
本当に思うことを
つたえていこう。
会社の拡大と
社員との関係性と
それから自分の人生と
全部が絡まり合って今があるから
全部が
奇跡の1年にしていきますよ。
今年もよろしくね。
]]>
ずっと思い描くものがあって
頑張って形にして
人に自分の夢を語って
スタッフにも夢を語った。
でもなんだか思うようにいかなくて
いろんなことを試したけど
いろんな失敗の連続で
私ってセンスないなとか
経営者失格だなって
思って苦しかった日々。
何がしたいのか
よくわからなくなったりもして
自分がエゴとかやってるだけとか
思えたりする瞬間
ものすごい虚しくて
泣きたいけど泣いても変わらないから
モヤモヤしながら
でも
諦めたくなくて今までやってきたのかな。
こんなことを
誰かに話しても
ただの愚痴にしかならず
だけど
どうしたらいいのか見えなくて
悶々。
今年は
10周年を迎えて
本当はすごく盛大に盛り上がりたいのに
なかなかスタッフが揃わなくて
人がいないから
やりたいことが全然できない。
でも
きっと今だけだって信じて
広尾も
代官山もオープンして
強行だし、色々いっぱい課題はあるんだけど
自分がイメージする世界観が
やっぱりとても好きだと思った。
そして諦められない
たくさんのことがあるから
それなら諦めずに
やることにした。
75cをそんなふうにみてたら
色々ぶれたなと思った
自分が。
無関心だったのかな。
そんなつもりはないんだけど、
そんなふうに見えてしまったら
それはそうなんだと思う。
だから
本当に大切な空間を
来年からリスタートです。
だからブログも変えてみた。
もとに戻す。
全部。
自分の気持ちも思い入れも
思い出すだけ。
最初からそこにあったし
今もある。
だから
もう一度大切にあたためて
感謝を伝えよう。
そして
大きな影響力を持ち備えて
もっと探してる人に
私の好きが届きますように。
眠くて今日は
ここまでにしよう。
ちゃんと
気持ちを残していこう。
]]>足早に家にかえる途中。
ふと気になって
なんとなく、ネタと思って撮影してたような。
このときイヤフォンでは
友達と電話中。
だけどなんか人がはいっちゃうなーって
立ち止まって写真撮ってたら
気がついた人。
そして
なんかの撮影なのかと思われ
道行く人が、待ってくれるという。wwww
このあと
私は友達とずっと電話しながら
おにーさんたちのカメラで撮影してあげて
私も一緒に写真にうつり
なぞな盛り上がりとともに
こんなの日本でなんだかうけると思った私。
なんだか
ちょっとひと目を全く気にしてない自分に笑えて
楽しくなっちゃった一時。
友達
電話の向こうで笑ってた。
いや
私も笑えた。
たまには
こんな日常もね。
]]>店舗でスタッフたちと過ごして
めちゃくちゃおいしいランチを
りんたろーの手作りで、食べた。
おいしかった。w
そして
みんなと話す時間の中で
本当に少しずつだけど
意識やあり方の変化を感じるスタッフがでてきて
それが本当に
本当に嬉しい。
ずっと、自分に自信が持てなかった理由は
まさにここなんだっていつも思うけど
スタッフたちと分かり合える瞬間て
私にとっては本当に夢見たいな時間でもあって
まだまだ足りない承認と
だけど
本当に自分の気持ちが固まっていく感覚と
忙しいし
年末だけど
なんにも年末感がなくて
それが不安を感じたりする瞬間もあるんだけど
ただただ
今、この状況でも
別にいいし、なんにも問題ないんだって思える自分自身に
安心感を覚える。
そんな今日でした。
ふちもとさんが大好きですって
言ってもらった今日。
私は本当に、贅沢な時間を過ごしてる。
久しぶりにお客様とも
笑って嬉しい
幸せな時間がすごせたな。
]]>
これからのことを色々話す時間。
なかなか難しい選択でも
ちゃんと
届くんだなって
自分の今が
とても承認できる、そんな体験。
できることはたくさんなくても
遠回りしても
今できることを
本当に心をこめて
精一杯。
私にはただ
それだけしかできないのかも。
誰かのためではなく
自分のためにも
それがいちばん健全だったりもする。
今の自分を承認したら
感謝はより深くなって
だめだと思われるものもすべて
よし、って
変わる瞬間がきっとくる。
想いを伝えることに
躊躇しない自分でありたい。
]]>このブログの、アリスのモノクロが
とってもお気に入りで
最初の頃
何度もデザインを変更して
自分の、しっくりくるのを探してた。
そして
どうしてもスマホの普及と同時に
スマホ用のデザインが気に入らなくて
パソコンで見てるときのほうがよかった・・・って思ってたんだけど。
ふと
色々検索してみたら
レスポンシブデザインのやり方があって
それにそってやってみたら
そのまま開くじゃん!!
文字は小さいし
なんだかスルーされそうな感じだけど。w
でも
私はやっぱり自分のこだわりに忠実でいたくて
そのままを選択。
気に入るものだけで固めていくのって
やっぱりすごく
ワクワクするーーー
]]>
実は、今年ホームページを作成。
これ
私の個人ホームページなんだけど
moiって
スタジオで、パーソナルプロヂデュースフォトをスタートしたとき
いろんな女性のスタイリングを
なりたい自分に特化して
ヒアリングして提案して
写真をとる・・・・
そんなサービスをスタートしたんだけど
ありがたいことに
たくさんの人が撮影にきてくれて
とっても楽しくて。
だけど
ヘアメークがなかなか探しづらくて
私も忙しいし
スタジオは子供専用にしたほうが絶対にわかりやすいと思ったり
色々で別にしてみた、プラン。
これから先
どんなふうにこれが活きていくのかまだ不明ではあるものの
この写真は
moiのスタート時に
ひとみにはじめて
恵比寿で撮影してもらったもの。
私の最初の本の表紙にもなったときの
撮影した写真から選んだもの。
私の大好きなスタッフたちが
そして関係している素敵なカメラマンたちが撮影してくれた
私の写真を
詰め込んだもの。
好きなものが
詰まっている場所ってただそれだけで
ワクワクするし
なんかいい。
そして私のブログは
自分を大切にしている私の証で有りたいから
そんな仕事をこれからも
続けて生きたいなと思うし
誇りに思って
拡大していこうと思う。
そんな決意の、今です。
もうオープンしてるけど
この
HP仕上がるまでの確認ページで
テンション上がってた私。
これからは
フランスの写真とかも
いっぱいここで
見せていけたらいいけどな。とか。
衝動的に動く。
何がいいとか悪いとか
そんなのどっちでもいいし
誰かにわかってほしいでもないけど
絶対にわかってほしいし
伝わってほしい、って想う相手には
どんなふうに伝えたらいいのかなって
思うのだ。
ひとつひとつ
自分の心がクリアになっていくと
いいも笑もなくて
深刻さもなくて
ただただ、あるものは、ある。
まだまだだけど
それを自分が感じ取ると
イライラしてた気持ちがどっかに行って
すーって、楽になるのにな。
責める気持ちはゼロ。
いやな気持ちもゼロ。
ただただ、
毎日を穏やかに過ごしてほしいし
私もそうでありたいのだ。
]]>
眠い。
だけど
毎日今を残すって決めたのに
ここ数日
あまりのハードさに寝落ちてしまった。
そんな日もあるけど
気づいたらもう24日。
クリスマスイヴじゃん。
クリスマスソング
全然聞かなかったな、今年。
素敵な1日にしよう。
]]>
不安で大声を出してしまう。
そんな日々を過ごしたりして
テンションが上がったり下がったり
落ち着かない。
自分と全然違う要素をもった
大事な仲間に
今の気持ちをそのままつたえてみたら
意外な反応をしてくれて
泣けた。
結局自分が欲しい物は
自分で遠ざけてるんだなって思うと
なんとも言えない気持ちになるけど
気づいたらいつだって
前進できる。
ありがとうしかなくて
なんだか泣ける。
やってみよう。
やれること全部。
]]>今までもずっと思って過ごしてきたけど
今よりもっと
たくさんのことが同時にできる
生産性をあげる
もっと可能性はたくさんある
そんなことをいつも漠然と思いながら
なかなか動き出せない私
そんなことを思って
涙もでるし
不安でどうしたらいいかわからなくなったりもするんだけど
ブレークダウンについて
今日は、話を聞くことができた。
ブレークダウンって、大きなコミットをした人にしか
やってこないもの。
ブレークダウンがない人生って
私、今までそうだったんだな。
コミットをしてないから。
最初に、スタジオで働き始めたとき
私はほんとにただただがむしゃらに社長の言うことの意味を考えて
過ごしてきて
たくさんのことを学んだ。
それから独立して
自分の頭の中にあるものを形にしていくこと。
そしてそれを本気で自分の夢にしていくことを
控えめに
ちょっと隠しながら
叶わなかったときのことをなんとなく考えて
生きてきたなあ・・・
コツコツと続けていったら
それは必ず近づいて行くとしっていながら
だんだん苦しくて
自分の保身みたいな自分になっていって
人のせいにして
犠牲者になって
過ごしてたんだということに気がついた。
今は
本当に自分のことを、ちゃんと認めて
承認した私は
本当に頑張ってきたし
人に影響を与えられる私だし
人には思いつかないたくさんのことを、思いつく私。
目利きだけで今までやってきたし
想いの強さで今までやってきたし
そこから
時代も変化していく中で
今私に見えるものは、まさに、ブレークダウン中なんだけど
本当に諦められない
達成したい夢見たいなものがあって
漠然としていると言われても
私の中には形になって見えているもの。
だからそれを
絶対に諦めない私でいたいんだ。
苦しくて逃げ出したくなっても
絶対に逃げないで
道を探す。
それが今の私が本当に求めるものなのかもしれないな。
大きなコミットをして
もう一度
自分の人生を
自信をもって生きていくぞ。
]]>
私がもらったものだけど
ダイエット中だしな
みんなで食べてねって、数日前において行ったんだけど。
まだ残ってた。w
なので。
一緒に美味しくいただきました。
嬉しい。
幸せ。
w
こういうときは素直に
美味しくいただくに限る。
そして
今日は女子3人で
色んな話をしながら気がついたこと。
自分が集中しだすと
たくさんの、抜けが見えてくる。
だから、みんなにほんとに感謝。
早く
まとまった時間をみつけて
書きたいことがいっぱいある。
スケジュールに入れて
ちゃんと、向き合う時間をつくろう。
]]>本当に時間がめちゃくちゃタイトで
朝から晩まで
ほんと疲れる。
だけど
1日ってこんなにいろんなことできるんだ〜って思うくらい
とてもたくさんのことが可能になった1日。
もっともっと
自分の中でいろんなこと整理したら
きっともっと
生産性あがるのかもなーって思ったら
なんだかワクワクする。
そんな1日。
]]>
最近どうですかと聞かれ
大変。
本当に笑えないくらい大変なんだけど
でも
だからといって何も変わらないから
笑うしかないし、
開きなおってやるしかないんです〜〜って言ったらね。
【世は金】って言われて。w
これ
色々思ってることを相手に伝えるのって
簡単じゃない。
同じ考えだと思って話してても
同じ考えのわけがなく
どうやってつたえていったらいいんだろうっていうモヤモヤで
イライラ・・・・
相手に対してのイライラと思いきや
本当はちゃんとつたえられない自分へのイライラから
相手との関係を諦めてしまってる自分がいる。
一日になんども何度も
色んな思いがぐるぐる頭の中を回って
忙しく過ごしてるのに
全然、やるべきことができていない気がしていて
心が痛いけど
そんな自分でも
絶対に前に進んでるし
進んでないとしても
それでも私ができることは、毎日やってるよね、っていうところから
自分を本当に承認する。
それが
今きっと本当に大事。
焦らずに
私を信じられたら
きっと相手のことも信じられる。
それが本当に大事なことなんだ。
だから
しっかりと
信じていこう。
信じてやれること、いっぱいあるよね。
]]>
わがままなのかなとか
空気よまないのかなとか
そういう自分も、いるけど
でも
本当につたえたいことを
つたえないでモヤモヤするのって
本当に全然誰にもいいことない。
だから
怖くても自分を貫く。
そしてつたえて行く。
その中で必ず、変化することがあるんだ。
自分の中に全部原因はあって
それを
ゆっくり落ち着いてみていけば
奇跡は
日常的に起こるのかもしれない。
怖らがずに
前に進もう。
今日は
可能性を一つ、繋げられた日。
一つどころじゃなくて
本当はいくつも数え切れないほど。
そんな自分を今日は承認できる1日。
明日もがんばろ。
]]>
韓国の女の子のグループ
もう最近はホントいっぱいありすぎて(最近じゃないか、ずっと私はわからないけど)
ムスメの最近の押しは
NewJeansで
今カナダで色々友達と新しいことをしながら
楽しんでる真っ盛り。
どんなことにもチャレンジして
ほんと、楽しく過ごしてほしい。
私は
韓国に留学しながら
日本人の、エンタメ力の低さにほんと、苦労したので・・・w
ムスメには
小さい頃からHiphopに通わせてたんだけど
小学校のとき、弟に連れて行ってもらった少女時代のライブから
色々ダンスだけじゃなくて
歌も大好きで
小6のときは、大好きなジェシカが小6からボイトレに通っていたということで
少しの期間だけど、通ったんだよね。
それも
今となってはなんとも懐かしく。
そして
母としてはなんとも誇らしい。
そんな感じ。
なので・・・・?!
Youtubeぜひ、フォローしてね・・・・♥
]]>
3日前から
これをスタート。
いつ買ったのか覚えてないんだけど
やるぞと思って買うのに
全然やらないの。
だからもう
古本出だそうかな、って思ってたんだけど
なんか今のタイミングなら
できそうかも、って思って
書き出してみている。
開いて向かう時間は
5分〜10分もかからないけど
毎日続けるって大事。
私は
やるって決めたらやるんだけど
そこに立つまでが本当に時間がかかるんだなって
この間自分を見てきて本当に思う。
こうしてブログに
自分の思うことをただただ書いてるだけでも
自分の中にあるものが整理されて
だからなに、ってことでもないんだけど
やっぱり
結局こういうことの繰り返しが大事なんだろうなって、思うのだ。
毎日不安となんか、
色んな感情がいったりきたりするのは
その、
続けるものが明確じゃない自分からきてるんだろうなあって
この間の学びの中から感じてること。
やるって決めたら
突き進もう。
迷ってることもいっぱいだけど
まあ
でもそれもきっと私には必要なんだと思う。
最近それをしながら
ちょっとした
周りの変化も感じていて
それが、本当に嬉しかったりするんだ。
]]>今まで何してたんだろう、って思う。
みんなの声を聞くこと
自分の意見を言うこと
ただそれだけだけど
それだけのことが
どれだけ大きな可能性を秘めてたんだろうって
わかってるふりしてたのかな。
結局全部
自分に返ってくる。
いいも悪いも全部。
だけど
終わりはないし
終わりって思ったところで終わるなら
むしろこれから
今からスタート
だから
きっと奇跡が起きる
そんな気しかしない。
忙しい
やることいっぱい
不安になる
どうなるんだろ
そんなの
生きてる証拠何だと思いましょう。w
って
自分に言い聞かせる。
大好きな人たちと一緒に
大好きな時間を過ごすのかどうか
全部毎日の
コツコツコツコツ
積み重ね。
だったら
わりと得意じゃん、私。
]]>
小さなころから一人部屋がなかった。
高校卒業して
留学したとき6人部屋で
だけどベッドと机があって
なんかそこがすごいプライベート空間で好きだった。
そこから
一人暮らしをしたことがなくて
ずっと今まで。
静かでいいし
自分の時間がもてるってすごくいいんだけど
寂しいんだよね、ずっと一人って。
だから
娘が留学してから
どうしようかな〜って悩んでシェアハウスに引っ越し。
代官山のシェアハウスは
4階まで階段だったけど
まあなれたらいい運動。
シェアハウスの人たちとも仲良かったし
居心地よくて好きだったんだけど
ちょっと急に引っ越しをすることになったのも
笑える理由で。
急いで家を探して
ちょっと家賃が高いと思いつつも
色々条件があったから
すぐに決めて引っ越しすることに決めた、神宮前の今の家。
おしゃれだし
すごく好きな感じ。
いろんな条件がとても合ってた。
でも
引っ越して今まだ4ヶ月経ってないのに
私はこの家でそのまま生活できないなーーーと感じる事が多くて
1月に
引っ越しをすることに。
ww
自分でもいつも展開が早い。
あ、でも
引っ越しってお金かかる〜〜という人もいますが
シェアハウスって敷金とか礼金とかがないから初期費用がだいぶだいぶ安いんだよね。
それに加えて
家電とか共同でほとんどないから
引っ越しにもそんなにお金がかからない。
というメリットがあるので
ポンポン引っ越しを繰り返している私・・・・
次のお引越し先は
色々と今の私の条件と合っていて
長く居座りそうな予感がしているのだけど
どうなることやら・・・・
今の住処も
お部屋とか
色々気に入りポイントはたくさんあるんだけど。
目の前のローソンの帰り道
冬の街って
なんだか好きなんだよな。
]]>
朝からいろんな発見がある。
うーーーーーって
苦しい瞬間は何度もやってくるんだけど
そこでへこたれず
一度とまって
自分のことを分析してみる、癖付け。
最近そんなことをするようになって
ちょっと世界が変わって見える
とにかく
自分でやると決めたことを毎日やる。
それが本当に大事だということ。
書きたいこといっぱいなのにと悩むくらいな
書きたいこと浮かんだときに何でも書く。
もう一度リズムをそうやって
自由につくろう。
寝よう。
]]>
ちょっと衝撃的に落ちること。
トイレに置いてあるアイテムは
全部がめちゃくちゃ思い入れがあって
何度もつたえてるけど
私の口からつたえたことがないスタッフも居るけど
まあ
大事なものとかそうじゃないとか
関係なく
普通に
感動を起こすスタジオなら
本当にどんなことにも一貫性があって
きれいであってほしいわけ。
接客業をしている限り
それって努力もあるけど
常識だったり意識の問題なんだけど
私、そこになんだかめちゃくちゃ反応してしまって。
ホコリかぶってる香水をみて。
久しぶりに怒りのようなものが湧いてきて
でも
どうしていったら変わっていくんだろうって
色々考えて
スタッフたちと会話をして。
私がいつだって
もっともっと寄り添えばいいのに
長い時間、避けてきたこと。
みんなが嫌いとかではなく
過去の、私のあり方ってやつです。
それが、邪魔して。
大好きなんだけど
理想もとっても大きくて
いい子だから、とか
写真が綺麗だから、とか
そういうのではなく
私と一緒にここを作っていく仲間、っていうのが
私は本当にほしくて
それだけを求めて今までやってきてたんだよね、ほんと。
だから
格好悪くても、
嫌なことでも
最近は隠さずに話すようにしてる。
苦しくなる人もいるよね、そりゃあ。
でも私も苦しいまま
なんでこんな会社やってんだろっておもうよりは全然よくて
だから、
今は、スタッフとたくさん会話することが、
すごく大事だし、私の癒やしの時間でもあるんだけど。
なんか
書きたかったのはここからで。
最近いろんなことがあったし
新しい店舗も
なんと5番館も
コロナになってから、本当に売上が悪い。
だけど、もはやコロナの影響だけではなくて
長年放置して来た私の、このスタジオに対する愛情が
どこかで切れてしまったかのように
お客様が減ってる。
こんなことブログで書くのは怖いし
え、そうなのーーって思われるかもしれないけど
そもそもこのブログを目にしてくれるお客様がいてくれたら
それこそ奇跡だし
大事にしたいから
隠し事はもうしない。
大変だけど
本当に大切なスタジオ、差別化されたものを仲間と一緒に作れるかどうか
人生の、とても大事な決断のときだなあと思うのだ。
でね
そんな話をしたくて、この前あいとつぐみととんちゃんに行ったの。
追い詰められてた私
思わず冷凍サムギョプサルを頼んだんです。
やすいのでいっか、って。
そしたら今日あいからその事言われて
たった100円安いだけなのに
社長が冷凍頼んだ、って。wwwwww
まじで病んでるじゃん、私。w
そう、本当に苦しい毎日なんです、実は。
だけど、
だからこそ飛躍できるチャンスだと、本気で思ってもいるんです。
だから、
だから?
つぎにとんちゃんに行ったとき、は、
生サムギョプサルを食べました。w
今度からも生にします。
お金に困るとき
そこに必死になると
今までの雑念って結構なくなるもんだなと思う。
お金に余裕あると
どうでもいいことに悩む。
お金に困る=お客様に選ばれない
そんなものを
世の中に輩出しているわけではない。
堂々と
どんな人にも誇れるスタイリングと写真を提供してる私達だし
その時間は
ディズニーにも負けない自負をもってやってきた。
だからこそ
トイレの小物にホコリは、まじで致命的と思ったのだけど
そういうとこから
なんだか笑い飛ばせる様になった自分が
苦しいけど
ちょっと好きなんだよね、っていう今日の私でした。
代官山で
あいをパチリ。
]]>
自分の心の移り変わりに
毎日自分で気づいて
安心したり
関心したり
感動したり
落胆したり
不安になったり
毎日大忙しだったりするんだけど。
なるほどなーーって思うのは
ほんと、些細な瞬間で
私が私をちゃんと、承認できる瞬間は
やっぱりなんでもできるじゃん〜って気に、なる。
私を力づけてくれる
色んな人がいる中で
その声が届かないときもあるけど
それでもちゃんと、見ててくれる人
言わないけど、支えてくれる人
私の周りは愛で充満。
溢れ出してるくらいなんだな。
ちょっとした声がけや
笑顔や
そういうのひとつで
ハッピーになって
元気になる、単純な自分が
今はすごく、好きって思える。
ただただ好きなものを
貫いて行ける私でいよう。
今日は東京タワーのすぐ下で
楽しい時間を過ごして
大切なことをたくさん思い出す。
仲間の存在も
私自身も
全部、何も変わらないし
全部、今のままでいいんだなって。
]]>
まだ
手元に写真はないけど
印象的だったのは
赤ちゃんのときから知ってる、お客様が
小学校5年生になり
妹は生まれてすぐから撮影させてもらってて
その子が、1年生。
七五三とハーフ成人式で
着物撮影をして
私の本にも紹介させてもらってるまなちゃんは
本当にパパそっくりで
でもとっても可愛くて美人さんで
しっかりしてて
撮影した写真をモニターしながら
自分の写真にとっても喜んで
カメラマンのファンちゃんに
すごいですね!って
それがすごい。
と、心から思った。
嬉しいし
やっぱり、そういう時間が
スタジオの最高な時間。
こんな時間を
もっともっとたくさんの人に知ってほしいし
知らせていきたいんだよな、私は。
って、
スタッフたちと一緒に過ごして
思うのです。
そういえば昨日は
5番館のメンバーと食事にいって
本気で私の希望とか夢とか
あとは不安とかそういうのを
たくさん聞いてもらった。
そして
本当に頼もしくて愛おしいスタッフなんだなって
思ったんだ。
こんな時間で眠くて朦朧としてしまってるけど
そういう気持ちは
全部いつでも残しておきたい。
そんなふうに思う出来事。
また、まなちゃんの写真
ちゃんと入手して、
アップしよ。
ひとまず今日は
過去の、本に入れさせてもらった写真を。
かわいいな♥
]]>
]]>
好きなものは好き。
当たり前のことみたいなことなのに
こうしなきゃとか
こうあるべきとか
誰が決めたのかわかんない
よくわかんない決め事にしばられて
もう何年も、彷徨ってた気がする。
でも、それでもいいじゃんて
思いたい自分を
隠しすぎて
人に、それを言われたら
すんなりなっとくして
ありがとう。
そんな今。
SNSなんてやってなかった頃から
書き留めるのはここだったから
ここにやっぱり自分を残そう。
]]>
アメブロに移行します。
この記事を書いて
保存を押したら
消えてしまうという・・・・・・・
アメブロ。
リアルタイムに私の本音を綴っていきたいから
ただそれだけの理由なんだけど
このブログに思い入れがありすぎて
悩んだけど。
なくなるわけではないし
アメブロにもしつこくリンク貼ります。
なので
きっと私が一番誰よりも過去ブログを読み漁るのだけど
自分との、約束が詰まったブログだから
アメブロに上手にお引越しをしようと
数日前から色々試してみたのですが。
なんだか色々ややこしく
移行したけど
全部が下書きに入ってるし
画像は紐付けされてないしで
心が折れそうになったから
私の人生
きっとここからまた再スタートなのかなって
ちょうど、10年たったし(会社設立から)
75cも新しいスタートを決意したし
色々な気持ちを
全部
プライベートも
仕事も
一つじゃない、いろんな私のやりたいことも
全部
今後はアメブロにて。
そしてあちらもやっぱり
どうぞ、お付き合い下さいね。
]]>
ブログをあげなくなったりする理由の一つが
携帯からアップがうまくいかない。
なんだよね・・・・
シンプルなフォーマットとか
色々気に入ってて
アメブロのごちゃごちゃしてる感じが
ちょっと苦手だったんだけど
結局
自分を見せる場所がいくつもあると?
なんだか自分が混乱するなあと。
シンプルにしていきたい
何事も。
でも思い入れもたくさんあるこのブログ
ブログの引っ越しをしようかなと思って
ちょっと試みてるのだけど
色々弊害が多く
ん〜いつアメブロに移行できるのかわからないけど
コツコツしながら
やっぱりここに
一度書いておこうかなとか
思うのです。
なんのためにといえば
自分のために。
飾らない場所を
そのままにしておくために?
]]>
ちょうど、休業を決めてから
みんなでリレー形式でアップ。
10年経って
いろんなことがあったけど
今はまた1店舗にもどった、スタジオ。
不安もいっぱいだけど
それ以上に
今はワクワク先のことがとっても楽しみで
一つずつ
ちゃんと丁寧に
形にしていきたい。
そんな気持ちでいる。
明日から、私の自己紹介。
自己紹介っていうよりも・・・という気もするけど
私なりに
心の変化が色々あって
ゆっくりゆっくり、自分に向き合って
やっと今がある、っていう感じなんです。
75cのブログだけじゃなくて
もっと
いろんなことを具体的に変えていって
自分のこと
もっともっと客観的に見つめつつ
もっともっと
ワクワクする日々を作っていきたいなと思うのです。
お付き合いくださいね。
]]>
決意はしても立ち止まるとき
ちゃんと話を聞いてもらえる環境
そこにどんな言葉をかけられるかで
私の可能性までも広がっていくような感覚が
とても嬉しい。
一人でできることなんて
そんなにないから
もっともっと
自分を活かして行くために
たくさんの人の力を借りよう、と思った。
長電話して
思いつきを言葉にすると
頭の中が無限に広がっていく。
だからきっと
もっともっといいものができる。
そうだよね。
楽しみが
広がってきたよ。
]]>
私の誕生日。
44歳になりました。
色々なことがあるのが人生。w
ほんとに忙しく44年も生きて来ちゃったけど
やっと今
少し、自分の人生がどんなだったかを
とても穏やかに
受け止められるようになった。
客観的に自分を見ているつもり
ポイティブに生きてるつもり
自分で自分を縛り付けて
もっともっとって、
必死になってたのかな、って
自分を受け入れられるようになったら
世界が、全く違って見えてきた。
みんなからのメッセージや
家で過ごす時間の中で
毎日ゆっくりと
でも確実に、私は私の生き方を、一歩一歩確認してて
やっと少し
自分のほしかった答えが見つけられたような気がしてる。
私がやりたかったこと
私が考えてたこと
現実と理想の間で
躊躇してきたこともたくさんあるけど
今しかチャンスはないかもしれないと思うことがあって
これから
そこに集中することにしました。
75cのこと。
そしてこれまでの私のこと。
マインドスタイリングという私のやりたい起業コンサルの仕事のこと。
どれも片手間でやれるようなものではないから
エネルギーをしっかり集中させて
まずは一つずつ
しっかりと私の世界観を、楽しんでほしい。
色々変わって行くとき。
コロナでさえも
チャンスに変わる
そんな気がしてるから
今を、どう過ごすか
そして、それをたくさんの人に支えてもらってる。
頑張ろ、私。
今までの人生
全てはこれからのためにあるという一言が
私をもっと強くしてくれる。
]]>
夜な夜な長電話。
アイディアとか
考えてることが溢れてくる。
いろんなイメージが頭の中をぐるぐる周り
それがとても、心地いい。
あとは動くだけ。
だから、
きっと誰にも止められない。w
仕事が趣味なんだよね、結局は
だから
やりきりたい。
まずは、一番大事なところをしっかり抑えて
次に進もう。
焦らずに
無限の可能性を
しっかりと、着実に
形にしていこう。
変化のときほど
ワクワクする瞬間は、ないんだから。
]]>
あったかくなったし
部屋も片付いてきて
来月からのこと。
色々不安な要素満載ではあったけど
いろんなことが削ぎ落とされて
本当に大切なモノを
ちゃんと、選んでいく。
そんな時間になったのかな。
まだまだ私のTODOは一向に減らず
そんなところでちょっと凹むけど
きっと日常を今まで通りに過ごしてたら
全部
今よりもっと余裕なく
なんとかこなしながら体も心もクタクタ・・・・そんなふうになっていたのかもしれない。
来月から
緊急事態宣言も延期され
どうするべきか、色々なやんだけどね
入っている予約は
そのまま撮影させていただこうかな、と、思っているところ・・・
何が正しい選択なのか
判断は難しいといえば難しいけど
やれることを
やれるときに
必死でやる。
ただ、それだけだよね。
今日もオンライン講座が1日あって
ものすごい集中するから
どうしても、疲れるのだけど。
それでも
本当に深く考える時間。
私には
とても貴重で感謝できる時間。
毎日を
今以上に
丁寧に過ごそう。
もっともっと、大切なものを
本当に、大切にしていけるように。
明日から5月。
大好きな季節です。
]]>
今日は
6人兄弟の末っ子
妙子の37歳の誕生日。
毎年思うけど
自分の誕生日よりも
妙子の年齢に
自分の年齢を感じて
びっくりするんだよな。
えあが作ったバースデーカード。
えあまで加わり
6人の子どもたちが
可愛すぎてたまらない。
あ〜
みんなに会いたすぎる。
こんなにも可愛いと思える姪っ子甥っ子。
本当にありがとう。
娘とも久しぶりに
長電話。
もう、色々言ってもどうにもならないから
現実を受け止めて
いつだって
それが最善なんだと
笑って過ごそう!
]]>いろんな流れでこんなオンライン講座を
夜な夜なzoomで
させていただきました・・・・
まだモニターの段階ではあるけど
ちゃんとお金も頂いて開催した、グルコン。
私が小さなころから感じてきた、大事なポイントを詰め込んで
見た目と内面が
どんな関係性をもっているのか、とか
割と深く
自分も考えるきっかけになって
とても楽しい時間になりました。
最近夜がすごく早くなったから
もうなんだか目がしょぼしょぼしてきてるけど
これからの可能性が広がっていくなあと
自分でもなんだか少し
成長した自分を感じる・・・w
これから
もっとブラッシュアップして
ちゃんと素敵な講座ができるように
がんばろう〜
それにしても
オンラインにてこれを開催したいなと思ってたけど
コロナの影響で
オンラインに対する人々の視線がプラスに転じていて
ほんと
新しい可能性が広がるなあと、実感中です。
]]>
起きた瞬間
なんだか心地のいい目覚めとともに
私の中に降ってきた、一言の、キーワード。
何故か
その言葉が心に浮かんで
ノートを開いて
書き出す言葉。
思いついたことを
ただただ、素直に書き出す。
それが、私の朝の日課です。
最初は
これがどんな意味をもたらすのかなんて
全然わからなかったんだけど
なんだか
続けてるうちに
自分に必要な時間に変わっていって
今では、朝早起きして
スッキリスタートしようと思って
生活をそこに合わせてる。
そんなのなかなかないことだけど
この期間はね
とっても大事な期間と思って過ごしてる。
焦らずに
しっかりと深く深く。
自分を知ること。
そこに、全部の答えがあるのかなって
最近思ってるところです。
焦らなくちゃいけないほど
やることはいっぱいなんだけどね
焦らずに
ちゃんと、大事なことに向き合う自分でいたいと思います。
]]>
小さな決断の繰り返しだね。
朝起きる時間より
早く目覚めたあとに
さっと起き上がって準備をするのか
もう一度眠るのか
ダウンロードに時間がかかりすぎて
イライラしながらそれを待つのか
その間に、郵便局にいったり
コインランドリーに行って
待ち時間に電話をかけてみたりするのか
ちょっとしたことだけど
私の気持ち一つで
その先の、1日の充実感には
ちょっとした、違いが起きる。
少しの葛藤に負けて
自分の選択を悔やむより
お人好しでも
自分の心に正直に行きたい。
ただ、それだけのことが
人からは、いろんなふうに映るのも知ってるけど
人の為に生きる人生ではないし
私は、私の毎日を生きるんだ。
そんなことを考える、1日。
最近
ちょっとなんだか食べすぎてるけど
なぜだか鎖骨がとてもきれいに出てるんだ。w
それが
私のちょっとしたモチベーションになって
どこにもいけないのだけど
おしゃれをしたい季節だよねえ。
こんなふうに
年をとれたらいいなとか。
]]>
今日もまた、ブログが消えてしまった。
まだあんまり慣れない
macのマウス操作のせいだけど
昨日と同様
きっともっと何か私の言葉を
変えてみたほうがいいのかもしれない。
今日はお天気で
自粛中だけど
ちょっとだけ人に会う。
短い時間でも
人に会うことで私は自分を見つめ直したりできて
とってもありがたい時間。
本当はブログに書かないほうがいいのかもしれないけど
なんとなく自分の毎日を
嘘つくことはしたくないから
書いておこうと思った。
中国製の、スポンジマスクみたいなのが
Amazonから届いた。
1ヶ月後の到着予定だったんだけど
少し早く届いた。
12枚入って990円くらい。
黒マスク。
なんか少し抵抗あったんだけど、
白の普通の使い捨てマスクよりも
ずっと苦しくないから、いい感じ。
そして今日は帰りにひと駅前で降りてみて
地図をみないで歩いて帰った。
なんとなくこっちかなって帰ったけど
45分くらいかかった。
でも途中で
奄美大島物産展?!みたいなのれんがあって
のぞいたら
小さな事務所の前でなんか、フリマみたいに?
何故か奄美大島のいろいろが売られてた。
電話中だったから
なんとなくいくつか選んで買ってきたけど
なんだか今思うとすごい。
写真も撮ってないけど
なんだか笑える。
しかもね
友達の妹がやってる会社のジュースがね
置かれてたの。
売ってる子のお姉ちゃんの旦那さんが働いてる会社なんだって。
すごい。
東京ですよ。
しかも偶然
帰り道に
人があまり通らないその道で
発見して
今更興奮。w
奄美、行きたいな。
そして帰り道
久しぶりに雑誌をみたりして。
自分の好きなものを考えたりした。
夜は
私のタイミングに
今、っていうタイミングに
合わせてくれたことも嬉しいし
タイミングが合うことも嬉しいし
いっぱい自分を見てもらって
最近そんなの多いけど
きっと今、それが私に必要なんだと思ってる。
いろいろ盛りだくさんな気持ちを
一つももらさずに、覚えて置きたいから
毎日今は
早めに寝よう。
丁寧に
明日はもっと
自分にこもって
1日を過ごそう。
]]>
間違ったところをクリックして
なんと消えた。w
今日の朝
話をしてた相手に
ブログが消えちゃう瞬間って
きっとそれはアップしないほうが良かったんだ的な話をしながら
自分がまた同じ状況になると
笑える・・・・
気を取り直し
4月も
いつものように、怒涛の日々だけど
引っ越しをして
スタジオも休業して
自粛生活の中で
ゆっくり今後を考えるはずが
ダンボールを丁寧に片付けて過ごしてたら
あっという間に時間が過ぎてて
夜遅くまでいろいろやってた生活から
朝活をしっかりしていく生活にシフトしたくて
10時を過ぎたら
慌てる感じになってきた。
多分、いい傾向。
だけど、ブログはやっぱり夜に書くのがなれすぎて
落ち着くんだ、この時間が。
日々の気持ちは
これからの私の支えになるから
もっとちゃんと
思い出そう。
そして、決意は
ちゃんと綴っていこう。
恵比寿にスタジオをオープンしてから
10年。
あっという間の10年で
また、イチからのスタートっていうのは
本当に大きなチャンスなんだなと思う。
だから
ずっとやりたかったこと。
10年たって
もうやってしまおうと決めた。
これはまた今度。
そして
色んな人に出会うこの1年。
まだ4月だけど
濃厚すぎて
とても幸せ。
私は
自分を誰よりも深く知って
自分を信じることができる自分でありたいと強く願うようになって
大切な人
感謝する人
尊敬している人
大事にしたい環境
そんなことを
もっともっと、大切に
丁寧に
毎日を過ごそう。
あと少し
残りの娘との日本時間は
今はバラバラにいるけど
もう少しだけ
楽しんで
ぎゅーってできるように
毎日を過ごそう。
そんな感じで
やっぱり書き直してよかったような気がする。
毎日また
ここに、向き合っていこう。
おやすみなさい。
]]>