「物事の見方を変える」これが、この本の中で言われる最大のポイントだった。物語になるような希望や絶望、悩みや不安、そして変化、成功・・・・など様々だけどそれらはすべて特別なものではなく、日常の中にいつも存在し、私自身にとっても常に隣り合わせにあるということ。考えてみれば小さな頃、絵本かなにかで見たことのあるようなお話。人生の教訓とでも言うのだろうか。そんなこと誰でもしってる・・・・そう思いながら過ごしていても、実際にそれが自分の現実になって目の前に現れてきたとき、まったく違う反応をし、まったく別の対処法になってしまうのが人間なのかもしれない。別の対処法というよりもむしろ対処法を探し出すことができないといったほうがいいのかもしれない。対処法を探す過程でつかれてしまい、自分自身に自信がもてずに過ごしている人を何人も知っている。
私がこの本を読みながらとても懐かしい気持ちになったことがあった。それは、韓国に留学をした18歳のときのこと。初めての海外での暮らし。初めての共同生活。初めての文化の違い。そんなものの中で自分自身が「日常」としてその生活を受け入れ、過ごしていくためにはとても多くの葛藤と気づきがあったことを今でも忘れない。学生の頃、自分に自信のない人間だったのかと聞かれるとそうでもなかったけど、それでも異国での生活にはとても苦しく感じることが多々あり、自分自身の中で自問自答することが多かった。そんな中、先に留学をしていた兄の存在もあり、私には私のことを気にして声をかけてくれる先輩たちがたくさんいた。偶然寄宿舎の閲覧室で当時4年生だった在日韓国人の先輩と夜2人になったことがあり、そこで初めて留学をしながら感じたことを正直に話した記憶がある。今思えば話したというよりも吐き出したというほうが正しいのかもしれないような時間だったように思う。今とはまったく違う自分の考え方を持っていたあの頃、先輩に話をしながら自分の考えを整理し、自分を知る機会になったといえるのだと思う。考えてみればたぶん、あんなに真摯に自分のことを人に話すのは、あれが生まれて初めてだったように思う。だからこそ、同じように先輩が私の言葉に耳を傾け、一生懸命聞いてくれる姿に、とても暖かい気持ちになったことを覚えている。
私の留学生活はそんな風に始まった。偶然の連続でとても恵まれた環境におかれ、同じ部屋になった友達や先輩たちに恵まれた。そのおかげで自分の生活の中で必死に1日1日を過ごしていくことが日常的になった。だからこそ、留学当初のことは今でも鮮明に記憶している。何かが変わった瞬間だったのだと思う。だからこそ、その先輩からの言葉を今でもしっかり覚えていて、私は先輩との約束を果たせたのだろうかと、自問自答することが、よくある。
「ものの見方を変える」というのは、一瞬でなされるものだということを、このとき実感した。人の考え方や価値観を変えるのは難しいし、無理だという人の言葉を多く耳にしてきた。変わりたい、考え方を変えていきたいと願う多くの人の相談にも数え切れないほどの時間を割いて、のってきたりもした。でも最終的にもたらされる脱力感のようなものから抜け出せなくなることもある。それでも私自身常に変わらず持ち続けてきたのは、「人は変われる」ということ。きっとそれは、私自身の体験からなのかもしれない。自分が本気で何かに悩み苦しんでいるとき、いつもとは違う、受け入れがたいような提案にもすがり付いてみたいときがある。そしてそんな気持ちから自分に自信がなくなり、いつもの自分とは違う一面が自分の中で許容範囲を広げて語りかけてくるような、そんな感覚になるのだと思う。
本の中ではいろいろな人の様々な問題に対し、なぞの老人が現れてその人たちと会話をすることによって、最初は人生のどん底にいた人々がみんな目の前にある問題をまったく違う視点から捉えることによって、新しい見方に変わる。それが問題を希望に変える、とても大切な見方なのだ。いくつもの言葉が心に残り、付箋を貼ってチェックをした。それでも人は忘れてしまうから、とても心に響いた部分を抜粋しておきたい。
【私は君に『ちいさなことにこだわれ』と言う為にここに来たんだよ。なぜだかわかるかい?人生全体を形作っているのは、小さなことだからだよ。・・・・・・・・・広い視野に立って物事を見ると言っておきながら、それが小さなことから成り立っていることを理解せず、小さなことをないがしろうにしているからだよ。わかるかい?】
【5羽のカモメが防波堤にとまっている。そのうちの1羽が飛び立つことを決意した。残っているのは何羽だい?
――4羽です。
そうじゃない。5羽だよ。いいかい?誤解されがちだが、決意そのものには何の力もないんだ。そのカモメは飛び立つことを決意したが、翼を広げて空を舞うまでは防波堤にとまったまま。残りのカモメとどこも違わない。人間だって同じだよ。何かをしようと決意した人とそんなこと考えてもいない人とでは何の違いもないんだ。
ところが人は、他人のことは行動で判断するのに、自分のことは決意で判断することがよくある。しかし、行動を伴なわない決意は、期待してくれている人に対する裏切りでしかない。】
【毎日、『まわりの人は僕のどんなところを変えたいと思っているだろうか?』と自分に問いかけてごらん。これはとても重要な反省だよ。】
結局、文章を読んでいるとそうそう、とうなずくことしかないのに、自分が果たしてどれだけ意識してこれらを実際にわかった人だといえるのか・・・・今の自分には本当に大切なことだと思う。
「人生は、自分の望んだとおりになる」という言葉が、とてもしっくりくる。人を見かけで判断することはできないし、どんな人にもいろんな過去があり、現在があるように未来も存在していて、私自身がそれを受け入れて生きて行きたいと思っている。どんな人にも同じように、「変わることのできるものの見方」が存在するということ。まさに、希望をはこんできてくれるような、そんな気分になった。