ヒョヌギとは割りと、長い。
もしかしたら、ライフスタジオの中では2番目・・・・
それも、私の妹の妙子の次に、私のことを昔から知っている彼。
96年度に私が韓国語教育院2年目ですごしていたころ、彼は大学1年生として同じ大学のキャンパスで過ごし、同じ寄宿舎で過ごした。
顔を知っているだけで彼のことは何もしらない。
「パランセ」というフォークギターのサークルに入ってて
サークルの発表みたいなのを一度、見に行ったことがある。他の友達がいたせいだけど。
そんな彼を認識するようになったのはたぶん、私の仲良しの後輩のせいなんだけど、
その後輩が、今の彼の奥様。
かわいくて素直で私の大好きな栄見の、だんな様。
何気に
彼が軍隊から戻ってきて、同じ寄宿舎で過ごした。
大学時代、彼について記憶していることは多くないけど
笑えるエピソードがいくつかある。
そして、日本に来てある日突然電話があって、彼とその友達と、そして栄見と4人で、池袋のパスタやさんで食事をした。
当時大学生だった私たちには
かなり豪華な食事だった記憶。
彼の支払いでご馳走になり、帰りに胃もたれして何度も電車を降りてトイレに向かった私・・・・笑
そんな彼と久しぶりに再会したのは2005年・・・・木更津でのコンサルティング中、ウェディングのモデルを必要としていて、彼らの夫婦にお願いをしたことがある。
素敵な写真がたくさんだった。
そこで、李社長にも、会ってて
もう一度会ったとき、彼はライフスタジオで働くことを決めた。
そのころ、私もデザイン室のある所沢に行くことが多く、帰りの電車・・・3駅だけだけどよく一緒に帰りながらいろんな話をした。
そのときから感じていたことがある。
今回、ライフスクールの1回目は大宮店。
彼の店舗だった。
朝から集まり、大宮店でくじを引くと、そこには「ヒョヌギ」と書いてある。
あまりにも知っている仲なので、特別問題もなく、特別なものは何もなく、彼の文章を読む。
ヒョヌギだからだとは思ってないけど、人の書いた文章について、自分の意見を述べるのは、とても難しい。それだけ、人に対して深く入って理解し、自分の見解を表明することでそこに責任が伴なうからなのだと思う。
1ヶ月間、早いけど、長い。
その期間の間、彼の文章について、何度も考えた。
どんな風にブログにアップしようかと・・・・結局、タイムリーにあと1日・・・・というところまでひっぱってしまったけど
彼のくじを引いた以上、責任があると思い、再度、彼の文章を読む。
簡単に要約してみると・・・・
2010年の評価は、リーダーシップのなさ、自分の鼻からふけ、本の重要性
自分の信念は他のために生きること
そして、今年の計画はライフスクール、写真を楽しむ、家族・・・・と、ある。
電車の中で話をしながら感じていたこと。
彼の、表現力?なのか、軸?なのか
自分の目指すものは、なんとなくわかる。
そして自分のことも、ある程度はわかっている。
だけど、いつもどこにポイントを置くべきか?について、さまよっている感がある。
理由がなんなのか、とてもこつこつと誠実にこなすのに、ポイントがずれることによって何かがうまく回らなくなる・・・・そんな印象を受ける。
一つ一つ言葉にするのはとても簡単だけど、それをこなして自分のものにするには、ものすごい労力と、ものすごい集中と、犠牲も、伴なうものなのではないかと思う。
「これ」というものが定まれば、そこに向かって必要な手段として、上記にあがっているものは、多く役に立つのではないだろうか?
何のためにリーダーシップが必要なのか?どこから、自分の鼻からふけと感じるのか?本の重要性を、何に活かしていきたいのか?
もしそれが、他のために生きるということにつながるのであれば
もう少し具体的なものが必要なのではないだろうか?
言葉よりも、すべてにおける一貫性を感じたとき
たぶん自分自身がそのすべてを記憶して、自分の責任で具体的に目標に掲げるすべてにおいての関連性がでてくるのでは?
私の文章そのものが整理されていないようにも感じるが
「中心をはっきりさせる」つまり、もっとも手に入れるべきものはなんなのか?その先を自分で明確にすることから始まったら
今計画しているものも、もっと、意味をもつのではないかな?と、思います。
私もがんばります・・・・・